正式名称は、長崎大学熱帯医学研究所アジア・アフリカ感染症研究施設ケニアプロジェクト拠点といいます。長崎大学グローバル連携機構アフリカ教育研究拠点も兼ねています。
2005年に設置が認められ、長崎大学との長い歴史を持つケニア中央医学研究所(KEMRI)内に設置されました。2006年から常駐の職員が研究教育の業務に携わっています。
<熱帯医学研究所のアフリカ、ケニアでの活動の歴史>
長崎大学熱帯医学研究所(熱研)によるアフリカとの関わりは、熱研が風土病研究所であった時代まで遡ります。
当時、文部省による所轄研究所の統合、廃止の検討対象となっていた風土病研究所は、日本アフリカ学会初代会長である長谷川秀治博士からの助言を受け、林薫講師(当時)を1964年の京都大学東アフリカ学術調査隊(隊長・今西錦司教授)に参画させることとしました。この派遣が成功裏に終わり、翌年の1965年には、東アフリカ学術調査隊(隊長・片峰大助教授)を、1966年には、第 2 次東アフリカ学術調査隊(隊長・福見秀雄所長)を派遣し、本研究所とアフリカとの関わりが始まりました。そして、1967年、研究所名称を熱帯医学研究所と改称し、本格的に海外の熱帯病研究に取り組むこととなりました。
さらに、1966年には、アフリカ、特にケニアとの関係を決定づける海外技術協力事業団(OTCA、現在の国際協力機構(JICA)の前身) による一大事業、ケニア共和国ナクルのリフトバレー州立病院への医療団派遣事業が始まりました。この事業は、独立直後(ケニアの独立は、1963年)のケニア共和国政府から日本国政府への医療団派遣の要請があり、我が国の発展途上国に対する技術協力の最初のプロジェクトとして開始されました。長崎大学は、当初、医師2看護婦2計4名を送り出し、その後10年間、医療団を派遣し続けました。医療団は、同病院における診療の中核となり、生化学、細菌学、病理学の基礎医学分野を加えた総合的研究体制へと次第に移行し、最終的に、計34名の医師、看護師、検査技師(うち、8名は、長崎大学熱帯医学研究所から)を派遣、1975年、事業が終了しました。この活動は、さだまさし氏の小説(後に映画化)「風に立つライオン」の題材ともなっています。
この事業の成功経験から、基礎研究を主体とした臨床部門を併置した熱帯医学研究所の創設案がケニア共和国保健省から我が国に対して要請として提出されたことから、1979年、JICAによるケニア中央医学研究所(KEMRI)の設立を目指した感染症対策技術協力プロジェクトが林教授を中心に開始されました。このケニアでの感染症対策の技術協力事業は5つのフェーズを経て、2006年に終了しています。
その間にも熱帯医学研究所によるアフリカでの活動は、エチオピアでのWHOの痘瘡撲滅計画への参加(木村医師)、ケニアでの住血吸虫症の研究(片峰教授ら)、カポジ肉腫と関連疾患の研究(板倉教授ら)、ケニアでの動物睡眠病の研究(福間助教授他)、ウガンダ、HIV / AIDS感染に伴う日和見感染症の研究(松本教授他)、タンザニア、農業開発プロジェクトの住血吸虫症対策(嶋田教授)、ジンバブエ、JICA住血吸虫症対策プロジェクト(門司教授ら)などがあった。しかし、熱帯医学研究所によるアフリカでの研究活動は、2005年のケニアでの教育研究拠点設置により大きく変化しました。
[新しい教育研究拠点の基盤構築:第1期(2005年度~2009年度)]
JICAでの専門家派遣(技術移転が目的であり研究活動は出来ない)、研究費による研究活動では、長期に渡り現場で実施する研究には限界がありました。アフリカにおける研究フィールドとラボの設置は熱帯医学研究所の悲願でもありました。そのような折、独立法人化した国立大学を支援することを目的とした文部科学省の特別教育研究経費(連携融合事業)により2005年、「拠点」をケニアに設置する事が決定しました。ケニア中央医学研究所(KEMRI)との共同プロジェクトとして開始されたこの事業は、新興・再興感染症および熱帯病研究の高度化、現地研究者との共同による長期・継続的かつ広範囲の調査研究の実施、若手研究者の現地での教育、そして、JICAとの連携による開発援助による現地住民への還元を目的としました。
2005年9月、長崎大学とKEMRIとの覚書きが取り交わされ、KEMRI微生物学研究センター(Centre for Microbiology Research:CMR)より提供を受けた一室から拠点設置が始まりました。同時に、フィールドの選定作業も行い、コンテナ4台によるオフィスと一部ラボの建築、さらには、BSL-3(バイオセイフティーレベル3)のラボもCMR内に設置しました。
フィールド研究のための調査地域の整備も進められ、マラリア、住血吸虫症やHIV感染が大きな問題であるビクトリア湖畔のMbita地区において、2つのフィールド調査基盤を構築しました。一つは、地域を基盤とした疫学研究基盤として、設定した調査地域に住むすべての住民を登録し、その動態(出生、死亡、移動など)を登録する仕組み(Health and Demographic Surveillance System: HDSS)。約5万人の住民を登録するシステムを構築し、2010年からは、インド洋側のKwale地区においても、同様の仕組みを開始しました。もう一つは、マラリア媒介蚊をモニタリングするシステム(Mosquito Surveillance System)。定期的に家屋内に休息する媒介蚊や蚊帳の情報を更新する仕組みです。さらには、雨量やビクトリア湖の水位など、環境情報の収集システムも構築されました。これらは、皆川教授が担当し、現在も継続して運用が行われています。
フィールド整備に伴い、フィールド住民との地域振興活動として、2008年12月から、Mbita地区において、保健医療サービス支援と保健医療状況の改善を目指す地域・人材育成事業を開始しました。医療施設にソーラーシステムの設置や住民自身による住民向け保健衛生教育の実施、地域に根ざした小学校における学校保健の実施、収入向上のための住民グループへの小額貸し付けなどを行いました。
[教育研究拠点を基盤とした研究の発展:第2期(2010年度~2015年度)]
2010年からは、運営費交付金・特別経費(全国共同利用・共同利用実施分)により、拠点を運営、発展させる事となりました。
第2期では、研究活動基盤が第1期に整備できていたこと、運営交付金を基盤維持に配分するのみならず、研究活動にも多くの研究費を配分した結果、SATREPS(地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム)や各種研究費(科研費など)の外部資金獲得に繋がり、活動が拡大した時期となりました。また、JICA草の根技術協力事業として、学校保健事業を実施しました。
[教育研究拠点を基盤の維持と運用:第3期(2016年度~2021年度)]
2016年からは、全国共同利用・共同実施分大学間連携事業を財源として、運営を行っています。2021年2月からは、JICA草の根技術協力事業『ケニア国ホマベイ地区における持続可能なスナノミ感染症対策プロジェクト(草の根パートナー型)』が開始されました(5年間の事業)。
2020年度、国際的に活躍できるグローバル人材の育成と大学教育のグローバル展開力の強化と日本人学生の海外留学と外国人学生の戦略的受入を行う国際教育連携支援事業である「大学の世界展開力強化事業」に本ケニア拠点がまとめ役となり、長崎大学、ケニア中央医学研究所大学院、ジョモケニアッタ農工大学、ケニアッタ大学、マセノ大学の連携による申請を行い、「プラネタリーヘルスの実現に向けた日ア戦略的共同教育プログラム(Planetary Health Africa-Japan Strategic and Collaborative Education (PHASE)プログラム)」として採択されました。ケニアと日本の若者の交流を活発に実施し、プラネタリーヘルスをコンセプトに、架け橋となる人材を育成してゆく予定です。
2021年度には、文部科学省による組織整備事業により、1名のケニア赴任教員(教授)の赴任を達成し、ラボの整備事業に関しては、新型コロナウイルス感染症等の感染症への対応能力強化を目的とした基盤的設備整備事業「ウイズコロナ時代の熱帯感染症統合解析システム」により、本拠点のラボ機能の整備を行いました。
[教育研究拠点の新しい展開:第4期(2022年度~]
2022年度からは文部科学省による「連携基盤を活用した感染症制御に向けた最先端研究・次世代人材育成事業」を財源として、拠点の運用と教育研究の新しい展開を行っています。
ケニア拠点の研究基盤を用いたあたらな SATREPS(地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム) 事業「住血吸虫症の制圧・排除へ向けた統合的研究開発」(研究代表者:濱野真二郎教授)が2022年に採択され、ケニア拠点を基盤としたさらに新しい研究の展開に繋がっています。
<JICAとの連携>
JICAとは、ケニア若手の人材育成に向けて、アフリカの若者のための産業人材育成イニシアティブ(ABEイニシアティブ)やJICA感染症対策人材育成事業(PREPARE事業)による留学生の派遣・受入において、そして、草の根技術協力事業において、協力関係にあります。また、長崎大学は、2019年12月にJICAとの包括連携協定を結んでいます。