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釈然としないものが残る。熱帯感染症研究センター設立にあたって書いたものを再掲する。書いたのは2年近く前、2001年9月10日。

レイチェル・カーソンの「沈黙の春」に匹敵する大著が昨年の暮、日本語で出版された。ピューリッツァー賞受賞作家ローリー・ギャレットの「カミング・プレイグ(上・下)(河出書房新社)」である。プレイグとは元来ペストを意味していたが、今ではより一般的に疫病全体を指し、直訳すれば「迫り来る疫病」となる。「『カミング・プレイグ』は、新たな疫病の出現の恐怖を活写した、完璧な最高傑作といえる。・・・本書は、人類の生物学的運命に関心を寄せる全ての人々に必読の書である。」リチャード・ブレストンの書評である。

本書では、感染症がけっして過去の不幸ではなく今日的な問題であること、また特定の地域に限定されるものではなく世界規模での解決が不可欠であることが緻密に証拠立てられている。個別のテーマとして新興・再興感染症や多くの熱帯感染症が含まれており、感染症が21世紀の大きな課題のひとつであることが示されている。出版は1994年、当時の大統領クリントンの感染症関連予算増額決定に少なからず影響を与えたという。

「カミング・プレイグ」は続編の「信頼の裏切り(仮訳)」と共に21世紀には間違いなく古典となる。そう私が断言するのも、この本が「沈黙の春」と並んで、人類が「類」として、ある時代に課題とすべきことを的確に訴えていると考えるからだ。

本書の出版と時を同じくして、90年代後半の世界政治の舞台であるG8サミットでは、毎回次のような認識と合意がなされていた。「感染症・寄生虫病は熱帯地を中心とする発展途上国に限られた問題ではない。世界の安全と平和、健全な社会経済発展を脅かす重要な要因であって、地球規模の課題として緊急に取り組む必要がある。」特に日本はこれを主導する立場を取り、矢継ぎ早に国際寄生虫病対策、国際感染症対策を提案した。これらは今日「橋本イニシアティブ」「沖縄イニシアティブ」等の名称で呼ばれている。

現実世界においても感染症は人類の重要課題と認識されたわけである。

このような背景の下で、今年4月、熱研に熱帯感染症研究センターが、従来の熱帯病資料情報センターを改組して開設された。90年代後半の感染症・寄生虫病に関する世界政治情勢、そして「カミング・プレイグ」が総括している現代地球の変化こそ、熱研に熱帯感染症研究センター設立を促すものであったと言えよう。

それにしても近年、熱研の活動には、人類の課題――世界規模での感染症の克服――に沿った実証的研究による貢献がより一層求められるようになった。国際寄生虫病対策(橋本イニシアティブ)、WHO研究協力センターとしての活動、WHOの要請に基づく専門家派遣、学術振興会によるベトナムとの国際交流拠点大学としての活動、JICAの要請に基づく流行地への専門家派遣への深い関与など、ここ数年枚挙にいとまがない。熱帯医学に関わる国内で唯一のしかも共同利用機関として、この世界的課題に立ち向かい、解決手段と方向性を示す役割を果たすことが、本研究所に求められている。我々には研究成果・知的資産を総動員して緊急にこれに応える使命があることを改めて自覚する。

設立されたセンターは10年の時限である。スタッフはこれまでの教授1名、助教授1名に新たに教授1名と助手1名が加わるだけの弱小軍団だが、幸いにも大学院生は増えつつある。この10年で地球規模の熱帯感染症・寄生虫病対策戦略を構築し、途上国に還元することを目指す。熱帯病資料情報センターのこれまでの重要な役割であった熱帯病に関する資料・情報の提供に加えて、熱帯感染症・寄生虫症の発生・拡大に関与する複合要因の解析と予防制圧のための研究を行う。

熱帯感染症の成り立ちは、きわめて複雑な要因に支配されている。センターの目的を達成するためには、その複雑さにたじろぐことなく、まず研究方法の確立から始めなくてはならない。リモートセンシング/地理情報システム、コンピュータネットワーク(データベース)などによって得られるデータとフィールドから得られるデータの統合された解析方法の開発が急務である。続いて、この方法を適用し、対象疾患の発生・拡大に関与する複合因子の分析、更に対策(予防、治療、制圧)戦略の構築、研究戦略の構築、そして戦略の途上国への還元へと進むつもりである。

忘れ去られていた感染症が20世紀の終わりに再び重大な問題となったのは、医療現場の我々が感染症は既に克服されたと楽観し、臓器移植や遺伝子治療などにうつつを抜かし、結局油断していたからに他ならないと、俗説は言ってきた。確かに我々には感染症に対する油断があった。しかし、ことは油断などと言う生易しいことではない。とどのつまり人類の誰一人として感染症を理解などしていなかったのだ。

「カミング・プレイグ」が秀逸なのは、内容がこの俗説を越えた見方で一貫している点にある。感染症が単純な生物学的事象以上のものであるとの理解が、研究者でさえ決定的に不足していたことをギャレット女史は的確に指摘する。「人類と、膨大で多種多様な微生物世界との相互関係を理解するには、医学、環境保護、公衆衛生、基礎生態学、霊長類生物学、人間行動学、経済開発、文化人類学、人権法、昆虫学、寄生虫学、ウイルス学、細菌学、進化生物学、疫学といった広範囲の分野を融合させる必要がある。」

わが意を得たりである。

感染症、特に熱帯感染症の対策には感染症成立のこれらの複雑な要因を考慮した新たな理解と取り組みが欠かせない。センターはこの複雑さに取り組む。そして熱帯感染症の予防制圧を志す。

 

 

 
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