アフガニスタンボランティア −国境なき医師団助産師の6ヶ月−

波多野 環

<第3章 クリニックでの日々>

(9)アフガニスタンのお産(その一)

   アフガニスタンのお産は概して安産である。クリニックにくる人もたいてい家でぎりぎりまで我慢してからくるから、着いた時には子宮口も全開大で分娩室に直行と言うパターンが多い。
   実はアフガニスタンに来て、驚いたことはいくつかあるが、お産に関しての手技で「?」 と思ったことは多い。アフガニスタンの助産師は陣痛と陣痛の間の時間にやたら産婦のおなかをたたく。手の甲を使ってさしずめドアをノックするような感じだ。それがやさしくって言うのじゃなく、結構強いから見ているほうも痛くなる 「やめて!さわらないで!」って拒否する人もいるけど、ほとんどお構いなし。これ、多分陣痛の間が開いて来たりすると、刺激して陣痛を起こさせるって言う意味でやってるのかなと思うんだけど、それにしても痛そう。分娩室に 「パンパンパンパン」という音が響く。陣痛には間欠が必要だし、ひっきりなしに陣痛が来ていたら、赤ちゃんに酸素がいかなくなるから、そんなに頻繁に陣痛を起こす必要もないんだけど、とにかくお産は 「早く終わらせる」のがいい、と言う考えは助産師にもあって、待つって言うのが苦手なのだ。さすがにたたかれる側も辛そうなので 「そんなに叩く必要はないと思う。陣痛には間欠も必要なんだし。」と説明した。が、「こうしないと陣痛が弱くなってしまう。」 と言う主張はやまず、そのままなんとなくみんな叩き続けていた(笑) なんでも昔からのやり方らしくて、そうしないと調子が狂うような感じだった。後はとにかくいきみまくる。とにかくいきんでいきんで押し出すようなお産。見ていると自分の方が辛くなってしまって、 「こんなにいきまないと産まれなかったっけ?」って感じだ。分娩室 クリニックには十分な数の助産師がいたけど、たまにお産が重なって私が介助につくこともあった。レイリーの助けを借りながら一緒に介助についた。私がダリー語で覚えた言葉は「いきんで」「大きく息を吸って」「上手だよ」「この調子」「赤ちゃんは大丈夫だよ」「男の子だよ・女の子だよ」「いきまないで」「終わったよ」「はい、腰挙げて」なんてほんとにお産に関する言葉ばかりだった。スタッフも私が 「いいよいいよ、その調子。はい、ちょっとだけいきんで。」なんてやってると、脇でにやにやしながら見ていた。私はさすがにおなかをパンパンたたいたりはしないけど、そんなことしなくてもちゃんと産まれてくるし、いきんでばかりじゃ赤ちゃんに負担がかかると言うことを説明するのはなかなか難しかった。自分としては十分な知識を持っていると思っていても、人に説明するのはむずかしい。それに、女性のそばに付き添って腰をさすってと言うのは普通にできるものだと思っていたけど、できない人もいて、そう言うときは私が実際にどう言う風に接するのかと言うことを見せるようにしていた。口で言うよりも実際やったほうがいいのだ。言われるとやりたくない人もいたから。 後はとくに難しいなと感じたのは「胎児切迫仮死」について。一応ここには超音波で胎児の心拍をチェックすることができる機械があるけれど(日本のJICAからの寄付)継続的に胎児の心拍をモニタリングできる機械はなかった。モニター所見をみながら説明すればかんたんだけど、見たこともないものについて説明を受けても、わかるわけなかったので難しかった。実はクリニックでは、母体に対する対処はまあまあできていたけど、赤ちゃんに対する処置と言うのがてんでだめだった。がんがんいきませて赤ちゃんがぐったり産まれてくることに相関関係を感じていなかったので、そこからまず説明していった。女性に関しても、お産はいきみ倒して終わらせるものだという意識があるから、そこのところ説明するのは簡単じゃなかった。痛みで訳わからなくなっているところに説明をしても、なかなか理解してはもらえない。お産ってほんとにイメージトレーニングなんだなあと実感。妊娠中から分娩についての知識をもって、どんな風に産むのか、良いイメージを持っていないといい分娩はできないのだ。ここでは、とにかく 「安全で清潔なお産。」と言うのが目標だから、そこまでこだわる必要はないのかも知れないけれど、日本のお産しか知らずに来ているから、見ていて慣れるまでに時間がかかった。
   私はこのマタニティに派遣された3人目のボランティアだが、以前のボランティアが教えたことの中にもあんまり意味がわからないものとかもあって、どうしたものかなと思うことがあった。MSFは半年か1年ごとくらいでボランティアを入れ替えている。厳しい生活環境でストレスが大きいというのと、ずっと同じ人が働いていても教えられることが限られてくると言うのが理由だろう。そのため、スタッフはボランティアが代わるたびにその人のやり方に慣れないといけなくて大変そうだった。私は赴任してから、以前のボランティアが教えたことは、命に関わらない限り変えないようにしていた。混乱させたくなかったし、彼らと築いた関係に水を差したくなかったからだ。そう言う姿勢をわかってくれたのか、スタッフは私のことをすごく好きになってくれたし、私も改善したいことがあるときに相談しやすくなった。 「こうしなきゃだめだ」とか「こうするべきだ」と言うようなやり方はここには合わない。突然外国からやってくると、あまりの違いに愕然として 「これもできていない、あれもできていない」ってアイデアが一杯出てくるんだけど、実はいまさら始まったことじゃなくて、長年そうしてやっていることというだけのことなんだ。はじめの驚きをそのままに活動に反映させちゃうと、いちいち変えなくたって良いことまで変えてしまいたくなるから、注意が必要。わたしはしばらく見ることに集中しようと決めていた。それはとてもよかった。国の状況、医療の基本的なレベルを知らないと、本当にできること、必要なものが見えてこないのだ。
   私が後任の産婦人科医に引継ぎをしたときにそれは本当に強く感じた。彼女は新生児のケアができていないといって、かなり使命感をもっていて、 「たまき、赤ちゃんの挿管ができるようにしたら、蘇生率が上がるんじゃないかしら。」 といってきたことがあった。「私は挿管できるし、そしたら助けられる率も上がると思うの。」 私は「はて」と考えた。もちろん私に挿管はできないし、でもはたしてそのあとどこで管理するのだ。クリニックに人口呼吸器はない。同僚のカリンに聞いても 「アフガニスタンに呼吸器のある小児科はないよ。挿管したって、呼吸器につなげられるわけじゃないし、すぐに抜かれちゃうだけよ。感染のリスクがあがるだけ、やめたほうがいい。」 と言うことだった。そういうことなのだ。私は、彼女が来たばかりで状況を把握できていない。できること、できないことをはっきりさせるのはこういうところで働く上でとても重要なことだ。できることの範囲も常に変わって行くが、とりあえずはできる範囲でやれることをやるまでなのだ。そういうことは実際に働いてみてはじめてわかったことだった。
   さて、お産の話に戻ると、他にもいろいろあって、村からお産に来た人の中には、おなかに何やらおまじないのやけどの跡がある人もいたし、おなかに鶏の血をつけてくるひともいた。安産を願う心はどこも同じだが、おまじないにはいろいろあるらしい。そう言えば、あるとき早産の妊婦さんが運ばれてきたのだが、なぜだかおなかに紐を二重にまかれていて、その紐に南京錠がかかっていた。なんでも、薬局で薬をもらったが効かず、ムッラーのところに行ったらおまじないとして紐を巻いて、錠をかけられたらしい。頭から否定はしないけど、 「こんなの効くわけないよー。」って思ったのは私だけじゃないはず。こう言う伝統的なやり方で、人を癒すこともあるのだろう。ムッラーというのはイスラム伝道師のことで、村の有力者で、イスラム教の教師である。科学的根拠のない処置を施したり、アドバイスをしたりすることがあるらしい。人々はいろいろトラブルがあったり、悩みがあるとムッラーのところにいって、意見を仰ぐことがあるそうだ。身内になにかと不幸が重なったときに、ムッラーをたずねたある人は、 「ジニーが悪さをしているに違いない。」と言われたと言う。ジニーというのは、お化けみたいなものなんだけど、訳のわからない悪いことがおこると、 「ジニーの仕業だ。」と言われたりするのだ。これに関しても、アフガニスタンの人は結構真剣に信じているので、軽々しくジニーの名前を口にしてジョークにしてはいけない。同僚の友人は、家で不可解なことがおきたときに人から 「家にジニーがいるんじゃないの?」と言われ引っ越してしまったそうだ。日本でも座敷童子が信じられているし、おんなじような事が信じられているんだなと関心してしまった。
   また話がそれた。とにかく、伝統的なこととお産はきっても切れないのだ。ところで、アフガニスタンでは、男が生まれようと女がうまれようと、産まれた後に大騒ぎすると胎盤が出なくなる、と信じられている。そんなわけで、産まれても母親はすぐに子供を見たがらない。見て男の子でうれしくて喜んでも、女の子が生まれたと言って悲しんでもどっちでも騒ぐのはよくないと思っているからだ。 また、大事な働き手であるということから、アフガニスタンの人は男の子を希望する人が多い。出産のすぐ後に 「早くこれどけて!」とお母さんに言われたときは驚いた。彼女は目を閉じたまま、赤ちゃんを見ようともせずに、早くどけてくれと言ったのである。    以前、ネパールで活動したことがある助産師さんが同じようなことを言っていた事を思い出した。性別を知ることが怖いのだ。男の子に恵まれていない人や、初めてのお産の人は特にそうなのだろう。産後すぐに号泣している女性もいた。初めての子供が女の子だったのだ。男の子でも女の子でも、大切な子供に代わりはないと思うけれど。日本も同じように男の子は跡取って思われているところあるからね。 「あなたは若いし、また男の子も産めるでしょう。それより、かわいい女の子ですよ。おめでとうね。」 とみんなで声をかけた。義母がとても良い人で「男の子であろうと、女の子であろうと、大事な私達の赤ちゃんと言うことに代わりはないわよ。」 と嫁を慰めていたのは印象的だった。

(10)アフガニスタンのお産(その二)

   アフガニスタンのお産って実際にどうやってやるのか、ここに来るまでまったくイメージがなかった。と言うのは、日本では病院であれば分娩台があって、今時だとLDRといって、普通の部屋みたいな所にすべて機材が収納されていて、分娩の時には分娩ベットに早変わりってやつ。でも、助産院とかいくと普通に畳の部屋で、好きなスタイルでお産をしたりできるし、日本でも施設、方針によってずいぶん違うからだ。助産院に行ったときは、実はお産ってものすごく自然なもので、病院みたいに機械につながれっぱなしのお産じゃないって知って、かなりカルチャーショックだったものだ。でも、お産って実はこういうものなのかな?と感じたり。セミナーに行くと 「分娩監視装置を使わない分娩なんて、現在の社会においてありえない。」とその先生は力説していた。でも、助産院にいくと「だって、電磁波が出るでしょう。」 とエコーでの診察さえ控えていたような感じだったのだ。なんだかこの差が大きくて、自分としてはどっちの考えに賛同すべきなのかなーと、迷ってしまう感じだった。
   さて、実は私達のクリニックは、いわゆる分娩台を兼ね備えた、病院系のクリニックだった。分娩室には分娩台があって、お産の時は仰向けになって、背中を起こした格好で、脚台に脚をのせて、っていうスタイル。他のスタイルでもやるのかときいたら、これオンリーということだった。なんだか見ていると、20年くらい前の病院にすごく似ている。分娩室の、ただ機能性を重視した感じといい、剥き出しのコンクリの冷たさといい、切って貼ったようなてきぱきした感じと言い、なんだか医療が人を圧倒する感じね。でも、アフガニスタンはこの必要最低限のものでさえ、NGOや、他の国からの援助がなければそろえることができないのだ。
   アフガニスタンの女性のほとんどが自宅で出産すると言われている。マタニティにくる人の中には、分娩室を見たとたん怖くなってしまって、知らない間にいなくなってしまうこともある。あの、ひんやり冷たい感じと、分娩ベットの異様さに圧倒されてしまうらしい。だいたい見たことがないもの、分娩台なんてさ。はじめに見たお産は、分娩室に入ったとたん 「怖い、怖い!」とおののく産婦さんを、むりやり分娩台に押し付けて、「がんばって!」入院してきた産婦を案内 というお産だった。なんか、違う。でも、何がナンでも分娩台なのか?ここで産まなきゃだめなのよねえ・・・。ちなみに私にはフリースタイルの分娩の経験がない。要するに私が勤めた病院でも、普通に分娩台でするお産だった。ただ、産む側の女性はそのスタイルを知っていて、それを選んできているという点で違っている。要するにクリニックでのお産に対する情報が十分ではないのだ。産む側の人すべてに説明ができたらいいかも知れないけど、いかんせんほとんどのお産に関しては 「飛び込み」なのだ。これは難しいなと思った。とりあえず、無理に押さえつけたりするのはやめられないかと思い、まず入院した時点でお産の経過と、分娩に関しての簡単な説明をするように話し合って統一した。
   ある日、一人の女性が分娩のために入院してきた。経過は順調で分娩室に移動することになったのだが、説明を行って同意されていたにも関わらず、彼女は急にパニックになり始めた 「いやー!!あんな台に乗りたくない、乗りたくない!私は床で産むわ!」と座り込んで聞かないのである。 「何いってんの、こんなとこで産めないわよ!ちゃんと台に乗りなさい!!」 師長は強く彼女に言いつけるが、いかんせん座り込んでしまっているから、持ち上げることもできない。かなりいきみが出てきているのに。 「ねえ、あの分娩ベットの大きなマットを下引いてやってみようよ。同じように仰向けのスタイルでいいからさ。台じゃなければ良いんでしょう。」と、師長に提案すると 「何言ってるの?床が汚れるじゃない!」と反対な様子。 「床はさあ、後で掃除したら良いよ。プラスティック敷いてさ、ちょっと介助しにくいけど、大丈夫だと思うよ。」 彼女はしぶしぶと言う感じで同意し、私がよっしゃとお産につこうと思ったら、若手のファトマが 「たまき、私がやるわ、いい?」と申し出てくれた。「もちろん!」 皆でばたばたと、マットレスを下ろして準備する。床に敷いたあと、清潔野を確保して、準備万端である。普通分娩台は、介助する側に合わせてあるから、結構高めで、そこに上がる産婦さんにとっては楽じゃない。床でやろうと思うと、産婦さんはそのまま寝転んだらいいから楽だけど、変わりに私達はスクワット状態だ。なにせ、分娩室は床から、壁からすべてコンクリだから。 産婦さんは初産ではないと言うことだったけど、とにかく大騒ぎの人で、マットレスからも転がり落ちそうな勢いだったから、みんなで落ちないように支えながら、なんとか無事にお産を終えることができた。赤ちゃんは元気。お母さんも疲れているけど、やっと落ち着いたようだ。こっちもやれやれだ。 「あんたねー、こんなに騒いで、次すぐに妊娠したりしたらただじゃおかないから!」 師長はかなーり怒っていたけど、私はなんだか面白い気分だった。日本でも昔は「お医者様」 だったでしょう。医療者の立場が患者よりも格段に高かった。ここでも、そんな感じなのだ。だから助産師はものすごくプライドを持っているし、とくに病院からきた助産師は 「自分達がしてやってる!」という意識が強いのだ。だから、今回は師長にしてみれば自分達の言うことを聞かない患者が疎ましかったのだろう。 「まあ、元気に産まれて、お母さんも元気で、無事に済んだんだから、いいんじゃない?こういうやり方もわるくないんじゃないの?」 というと「もう!そんな風にやってたら次々来るお産に間に合わないわよ!もう、これっきりよ!」 とやっぱり相変わらずプリプリだった。
   そうなんだ、ここのマタニティの難しいのは、本当にお産が多いこと。だから、分娩台を使って、自分達の働きやすいようにやっていかないと、とてもじゃないけど回らないのだ。今、このクリニックでは、最低限 「安全で清潔なお産」を確保するのに精一杯だ。そのうち、国全体のレベルが上がってくれば、いろいろなスタイルで、産婦さん主体のお産ができるようになるだろう。今回は、とりあえず例外だったけど、主役はお母さんという考え方があるって言うことも、わかったんじゃないだろうか。 「たまき、私のこと嫌いでしょう。」師長が聞く「なんで?」「いつもだめって言うから、私は。」 「だって、それがあなたの仕事じゃない。私よりもずっと経験もあるし、いろんなこと良く知ってるじゃない。嫌いなんて思ったことないよ。」 「うそ、絶対嫌いなはず。」「そんなことないよー、こうやってやりあうのが、私の仕事なんだよ。楽しいジャン、バトル!」 「また、そんなこと言って。」彼女は、やれやれもうって感じで肩をすくめて、私達は一緒に分娩室の掃除をした。そうなんだよね、みんなの考えとか、私の考えとか一緒にならないことのほうが多いんだ。だけど、そこを話し合って、やれることはやっていこうって言うことなのだ。 「しかし、彼女はちょーっと騒ぎすぎだったよね。」「大丈夫、ばっちり説教しておいたから。」 さすが(笑) こう言う厳しさも、実はとても大事なのよね。私も見習わなくっちゃ。常にやさしく、時に厳しく。

(11)赤ちゃんにまつわること

   赤ちゃんの試練は産まれたときから始まる。なんて、冗談だけど少し本当。アフガニスタンでは、赤ちゃんは、生まれてすぐに布でぐるぐる巻きにされる。手はまっすぐに伸ばし、足もピーンと伸ばさせて、びっちり布に巻かれ、最後は紐で縛り上げられると言う具合。所で、赤ちゃんの正常な姿勢といえば 「WM型」という風に言われる。手は軽くまげて足も開き気味で屈曲している。それが正常な姿勢であり、赤ちゃんの手足の動きを妨げないようにと言うのが現在の考え方だと思う。が、ここでは一応習慣として、きっちり赤ちゃんを巻き上げることが常識となっている。なんでも子供が 「まっすぐに」成長する様にという願いをこめてのことらしい。一応生後2ヶ月くらいまで縛っておくらしいが、人によってはもう少し長く縛っている人もいる。
   はじめどうしてもこれがいやで仕方なかった。3ヶ月過ぎてもぐるぐる巻きだいたいよくないってわかってる事を敢えてするなんて、ちょっと自分の良心に反する感じで。ところで、一応うちのスタッフも赤ちゃんを伸ばして縛り上げるなんて、科学的にはよくないとわかっていたのだが 「これはアフガニスタンの習慣だから。」とのこと、習慣はなかなか変えるのは難しい。日本も昔は腹帯きっちり巻いていたっけ。いまだったら 「腹帯はしないこと!」って口を酸っぱくして言われるから、同じようなものか。そんなわけで、この件に関しては何も言わないことに決めた。ただあまりキチキチに巻かないようにとだけ説明した。
   ところで、お母さんたちを見ていると、赤ちゃんが泣いても 「まずオムツ」とか「まずお乳」とか思うことがないようだった。赤ちゃんが泣いたら、ただ抱っこして左右に揺らしておくか、すごく低い声で「子守唄」を歌ったりしていた。 「おかあさんオムツ見てみたら?」とか「口パクパク探してるからお乳じゃないの?」 とか言わないとなかなか世話をしようとしなかった。初めての子供じゃなくてもこんな具合で、これは外来にくるお母さん達にも同じ事がいえた。
   たとえば、赤ちゃんがずっと泣き止まないと言って連れてこられた赤ちゃんが、布でぐるぐる巻きなうえ、ビニールまで巻かれていて、おぬつはぐっしょりなのにそのままでオムツかぶれになっているという具合だ。小児科医のカリンもいつも怒っていた(笑) 「ビニールは巻いちゃだめ。」「赤ちゃんが泣いたら、まずはオムツとお乳を確認してみて。」 という非常に基本的なことを繰り返し説明していた。
   また、ある日お母さんが赤ちゃんを抱いて、義母とともにマタニティにやってきた。赤ちゃんがぐったりして元気がないという。たしかに、見ると赤ちゃんは確かにぐったりしている。黄疸も少しきついのかも知れない。 「お乳は飲めてるの?」と聞くと「産まれてから一度もおっぱいはあげていない。」 というのである。えっ、一週間も?じゃあ何あげてたの?仰天して聞くと 「バター」と言う答え。出た、バター。実はこれもすごく一般的なことで、特に年配の女性は赤ちゃんにバターをあげるといい、と信じている人がいるのである。 「バター以外のものをあげちゃだめだと、義母にいわれて・・・。」初産婦の彼女は悲しそうに言った。私達は義母に赤ちゃんにはお乳以外のものをあげてはいけないということを説明し。母親にはとりあえず搾乳の仕方を説明した。赤ちゃんは発熱もしていたので、小児科の病院に搬送することにした。義母の理解、知識がないと言うのは赤ちゃんだけではなく、母親にとっても不幸である。前述のように、嫁には義母に意見する権利はないのだ。とにかく、産後1週間で検診にくる母親に、赤ちゃんの育て方、正常異常について、母乳栄養について、清潔について等々、必ず説明することを決めて実行することとした。
   そういえば、マタニティで働いているクリーナーさんが、出産後ずっと子連れで出勤していたのだが、3ヶ月過ぎてもぐるぐる巻きのままだった(笑) 泣けばみんなで変わるがわる抱っこして、お腹が空いているようなら母親を呼んだりして、みんなまるでベビーシッターのようだった。日本の病院では考えられないよね。みんなが赤ちゃんをかこみ、大勢で子育てをサポートする。そういう面ではアフガニスタンはとても良い国だ。核家族で、育児の不安を一人で抱え込み、小児虐待のニュースが絶えない日本と比べると、この国の「家族」と言う形態はとてもすばらしいものの様に思えてくる。 働く女性のほとんどは、子供を産んでも仕事は続けている。生活が苦しいからと言うのも大きいが、育児へのサポートがあると言うのも大きな理由である。仕事を持つ女性は、一家の大黒柱となりうる大事な存在なのである。子供を取り巻く環境もさまざまのようである。

(12)ある解任騒動

   ある朝、クリニックに行くとなんだか大騒ぎになっていた。なんでもスタッフ同士でトラブルがあったようだ。うちのマタニティで働く助産師と男性外来で働く医師とのいざこざらしい。 話はこうだ。昨日外来で働いていたファトマは、診察室を出て戻ってきたときに自分の鞄がなくなっていることに気がついた。同僚のナディアとクリニック中を探し回り、男性外来のほうに停めてあったアリ医師の車のなかに、ビニール袋がおいてあるのを見て、誰かが冗談でビニールに入れて隠したのではないかと思ったナディアは、許可もなく車の中探してしまった。そこを通りかかったアリ医師は、何をしているのだと注意をし、自分が疑われていると思い腹を立てた。ナディアは勘違いしただけだと言ったが、アリ医師はかなり立腹していたようだ。結局ファトマのかばんは見つからず、スタッフは勤務時間を終えてタクシーや自家用車に相乗りして帰宅の途についた。が、アリ医師はナディアの行為に怒りが収まらず、ナディアの乗ったタクシーを追い越し、タクシーを止めた挙句彼女を車から引きずり出し、 「この娼婦め!」と言うようなことを大声で言いながら、彼女に殴りかかろうとした。というのである。ちなみにこれはナディア側から聞いたお話。なんだか派手なことになってるなあと思ったが、これはまあ、お互いに行き過ぎてしまった結果かなと思っていた。所が、これがそう簡単には収まらなかったのである。ナディアからいわせると 「結婚前の女性が、公衆の面前であんな風に罵倒されて、許すことはできないわ。私はこのこと両親にも話していないのよ。もしこのこと話したら、家の父は黙っていないと思うわ、アリ医師の所にいって彼のこと殴るかも知れないわ。昔だったら、殺しにいったっておかしくないくらいよ!」 と、とにかく話がかなり大きくなってきてしまっているのだ。これにはオフィスも黙っておらず、アリ医師、ナディアの両方と、一連の出来事を見ていた双方の車に乗っていたスタッフの意見も聞くことになった。おかしな事に、クリニックの中でも意見が二つに分かれ「ナディア擁護派」と「アリ医師擁護派」に分かれて中傷合戦のような感じになってしまったのである。 「私はナディアがアリ医師の車を勝手に開けて探しているのを見たわ。こんな風に中をのぞいて捜して、荒荒しく開けたトランクを閉めていて、アリ医師が怒るのもむりないわ。」 「確かに、アリ医師はナディアに殴りかかろうとしたわ、タクシーの運転手が止めに入らなかったら、本当に殴られていたかもしれないのよ。(娼婦)なんてアフガニスタンではこれほど屈辱的な言われ方はないわ。私の夫がそんなことをきいたら、相手を殺すかも知れないわ。」 とにかく話はどんどんヒートアップして、もう1週間近くこの話でもちきりだった。そして、双方の話を聞いてオフィスが出した結論は 「アリ医師の解雇」であった。私ははっきりいってたまげた。言った言わないの押し問答に、感情の入りまくりの話し合い。だいたいどっちの言い分が正しいかなんてわからないのに、一方的にアリ医師だけを解雇するなんて。日本人的に言わせてもらえば、喧嘩両成敗ではないか。オフィスの言い分は 「アリ医師が怒ったのは無理もないが、行動が常識を超えていた。スタッフに対してこのような態度を取る人間を置いておくことはできない。」 と言うことだった。もちろんアリ医師の側についた人間からは大ブーイングだ。 「もとはといえば、ナディアが勝手に人の車を開けたりしたのが問題じゃないか。それはなにも罰せられないのか。」 「だいたい外来で、部屋に貴重品をおいたまま外に出たと言う、管理不充分から出たことじゃないか。ナディアだけじゃなくファリダの問題だ。」 「もともと、外来に貴重品を入れるロッカーもないじゃないか、そのことが大本の原因だったのではないか。」 等々、出るわ出るわの抗議の嵐で、さすがに一方的な解雇だけではすまなくなってきていた。実はオフィス側は、アリ医師のことを、給料や待遇に関していつも文句を言ってくると言う理由で疎ましく思っており、今回の出来事がいわば好都合に働いたと言う事実があった。しかし、クリニックの医師のほとんどと、看護師のほとんどがオフィスにまで抗議にやってきたことから、クリニックで、一連の処分の説明と、ナディアに対しても二度とこのような騒ぎを起こさない様にとの警告が出された。おかしな話で、アフガニスタンでは、事実はさておき、自分が見方になった人が有利になるようにうそをついてでもかばう、という国民性を垣間見た気がした。事実がどうで、それに対してどういう処分が適当なのかという冷静な話し合いにはならない。 「こんな屈辱は許せない。」とか、そういうプライドとかに重きが置かれてしまって、理路整然と物事を解決すると言うことが難しいように感じた。オフィス側の判断はアリ医師の解雇という形だったけど、許可なく自分の車を物色されたら誰だって、 「泥棒扱いされた」と言って不快に思うんじゃないだろうか。この件に関しては、アリ医師は気の毒だった。
   その後クリニックでは、外来担当の新しい医師を見つけるのに苦労し、私達がアフガニスタンを後にする日まで、常勤の医師を見つけられずにいた。何度か新しい医師が来たが、家族の都合でこれなくなったり、突然なんの連絡もなしにこなくなったり、と踏んだりけったりであった。教育するたびに逃げられると言うかわいそうな目にあったのはカリンだった。
   一方ナディアは、その後結婚し、結婚休暇を取ったままクリニックにこなくなってしまった。なんでも旦那の都合でヘラートに転勤することになり、 「もう来れない」との事だった。こっちもこの勝手なやり方に被害を被った。ナディアが突然こなくなったときに、アリ医師の擁護派だった人達は 「ほら、言わんこっちゃない。アリ医師を解雇しなければよかったのに。」とナディア擁護派にちくりとやっていた。確かに。こう言う出来事があると、本当にそれをどうやって収集させるかが、上に立つ人間の技量だと思わされる。実際、アフガニスタンにいながら、私達はヨーロッパのNGOで働いているから、その解決法もどうしてもヨーロッパのやり方になってしまうから難しい。私もこの件に関して、何度か意見を求められたが、先にも述べたとおりの 「喧嘩両成敗」の立場であったので、フィルコには不満だったようだ。白黒はっきりつけたがるのがヨーロッパ人の気質かなと思うけれど、私は生粋の日本人でありますからして(笑) それにしても、本当にこのやり取りを通じて、理屈だけでは通らないアフガニスタン人の気質を知った気がした。自分の仲間を庇うためなら、芝居も打つ!というとても人間くさい部分も見えた気がしたのである。

(13)ナショナルスタッフと外国人スタッフとしての私

   マリー、シャイナ、ザキアは「納得いかない」という顔をしている。 「私達はしっかりやっているのに、エクスパットは私達の悪いところだけしかみようとしないじゃない。」 話し合いが終わったあとマリーは不満をぶつけてきた。私もなんとなく納得がいかなかったから 「私も納得いってないよ、私はみんなのこと信用しているからね。相手の側に何か誤解があったのかも知れないね。」と答えた。 マタニティではいつも何かしら問題はあるのだけれど、これはいまいちどちらが悪いとかよくわからない問題だった。
   ある夜勤の日、このメンバー3人で勤務中のとき、一人の男性がクリニックを尋ねてきた。 「妻が出血しているので、家まで来てほしい。」というのだ。マタニティは忙しくいくつか分娩を抱えていたので、外に出ることはできない。安全面からも夜中に女性スタッフが外出することを許可できない。彼女らは、とにかく患者を連れてきて、と男性に伝えた。何分かして女性が男性に連れられてやってきた。診察すると特に出血はなかったという。妊娠しているようだが、週数は浅く妊娠初期だろと言うことだった。下腹部痛があると言うことで、切迫流産かも知れないから、朝になったら、外来の産婦人科医に見てもらうように説明し、帰宅させたと言う。次の日、メディコがたまたまクリニックを尋ねて来ていたのだが、昨夜の女性の夫が 「妻が出血が多くて死んでしまうかもしれない。」と訴えたため、患者の家を訪ねクリニックにつれてきた。診察で、不全流産と診断されたが、彼女の家族が 「昨日マタニティに来たときに、助産師が診察もろくにせずに帰された。」といったため、その日の夜勤メンバーが呼び出され、話し合いになったのだ。助産師の言い分と患者から得た情報が違うため、どちらかの言っていることがうそなのか、それとも勘違いから話が食い違ってきてしまっているのかよくわからなかった。 「マタニティに来る患者は、どんな患者であろうと、しっかり診察をしなければならない。診察もしないで追い返すなんてもってのほか。」 というのがコーディネーション側の意見。でも助産師はしっかり診察をして、出血もなかったから翌日戻ってくるように伝えたと主張する。私は、そのときはまだ赴任したばかりだったから、みんなの仕事振りもよく知らなかったし、夜勤がどういうふうに働いているのかも把握していなかった。そのため、どっちが悪いとか、間違っているとか全然わからない状態で、どっちの側の意見も 「なるほど。」と言って聞いていた。フィルコは「たまきはアフガンスタッフを買いかぶっているわね。彼らは平気で嘘をつくし、ミスをすればそれを隠す。都合のいいように話の辻褄を合わせることもある。そう言うことを踏まえて、厳しくしなきゃだめよ。」 とのことだった。彼女は珍しい人で、アフガニスタンでの活動経験が非常に長く合計で4年以上働いた経験があった。ダリー語を話すし、アフガニスタンの自然をとても好きだった。だが、私がひとつ好きになれなかったのは彼女はいつも人を信用していなかったところだ。特にアフガンスタッフに対してはそうだった。仕事も人に任せたがらず、一人ため込んでいるような人だった。実は彼女は本当にアフガニスタン人を良く知っていたのかも知れないけれど、やっぱりそう言う態度はあまり好きにはなれなかった。
   とにかく、今回は3人の夜勤の警告ということになったのである。私はとりあえず、今後そういうトラブルが起きないように、なにか困ったことがあったら残しておくように連絡ノートを作った。そして、実際に夜勤がどういうふうに働いているのか、夜間困ることはどんなことなのか知るために、夜勤に参加することを決めた。私が夜勤をやるといったときに彼女に 「それは良いわ、夜勤がしっかり働いているのかどうか、しっかりチェックしてちょうだい。」 といわれた。私の意図と主旨は違うけど、OKがでたと言うことで、まあいっかと言うことにしておいた。スタッフを信用するのは確かに難しい。私の前任者もレポートに 「スタッフはミスをしてもそれを隠そうとする。ミスから学ぶという姿勢がないので、隠して、また同じミスをすると言うことがありえる。」 と書いていた。アフガニスタンでは、人に批判されていることに慣れていない。日本人もそうかも知れないけれど、人の間違いについて、きちんと言及できる人も少ないし、自分の非を認めて謝る人も多くない。相手から 「自分が間違っていた。」とか「自分が悪かった。」と言う言葉を聞くことが、まずないのである。その代わり言訳がすごい。しばらく働くうちにそういった性質がだんだん見えてきた。絶対悪かったといわないし、なんて傲慢な人達なんだろうって思ったこともあった。でも、おかしなもので、粘り強く話すうちに私もコツをつかんできた。私の意見に同意してくれたら相手が謝らなくてもとりあえずそれでよし。私の言うことが正しいと思ってくれると、ちゃんと次から行動は変わってくる。まあ、時間がたつとまた忘れられちゃうんだけど、それでもまあ、根気よくやるしかないかということにした。日本人は、何考えているのかわからないとか言われることがあるけれど、どの国の人だって何考えているのかわかんないものだ。アフガン人はあんまりストレートじゃないところが、妙に日本人と重なるところがあって、不思議な親近感を抱いたのだった。

(14)働かない人々

   時々なんでみんなもっとバリバリ働かないんだろうという気分になる。だって、診療だって番号限られているし、それ以上働きたくないってみんな思っているし、いえば 「同じお金なら楽なほうがいい。」っていう感じにみえてくるよね。マタニティだってそうだ、お産の人がいなかったら、掃除に時間かけたり、整理整頓してみたり、空いた時間で勉強すれば良いのにって思うんだよね。なんで時間が空くとすぐに 「お茶」「お昼寝」なわけ??アフガニスタンってこんなNGOが一杯入っている国で、みんなほんとに寝る暇もなく働いているのかと思っていたのに、現実ずいぶん違うんだよね。毎週いろいろなトピックスでトレーニングをするけれど、いまだに赤ちゃんの心拍確認する前から心臓マッサージやっちゃうし、なんでか肺のあたりをぐいぐい押して刺激しちゃってたりするんだよね。ため息が出てしまう。毎日おんなじこと口を酸っぱくして言わないといけないなんてさあ。たまたまアフガン人のメディカルコーディネーターにそうやって思っていること話したら、彼は面白いこと言ってたな。 「たまきさあ、考えてごらんよ、この国は20年以上も内戦をしてきたんだよ。国のシステムは壊れちゃってるし、政治だって安定していない。仕事だっていつ失うか知れない状況に皆置かれているんだよね。毎日同じ仕事の繰り返しでさ、モチベーションを保つのだって大変なことなんだよ。MSFだっていつアフガニスタンから撤退するって言うかも知れないよ。そんな状況で働いているってことをまず考えなきゃ。それに、ほとんどのスタッフは大黒柱として家族を支えているよね、帰ってからもプライベートクリニックで働いたりしているんだよ。こんな状況で働くことはなかなか難しいと思わない?みんな一生懸命やってると思うよ。たまきが期待するほどの仕事のしかたじゃないかも知れないけど、アフガニスタンの中じゃ、一番と言うくらいよくできてるクリニックだと思うよ。」 との事だった。かれはボランティアとして、アフリカでの活動に参加したことがある、アフリカでの仕事振りを聞いてみた 「アフリカ人は働かないって、やっぱりヨーロッパ人は怒ってたよ。でもね、彼らの側に立てば、こんなに暑くて動けるかって感じだよ。でも不思議なもので、僕はヨーロッパのボランティアと違って、いつも彼らと同じ目線で、同じペースで仕事をしてきて、だんだん彼らの仕事に対する姿勢も変わってきたんだよ。大事なのは、その国のやり方に合わせること。上から押し付けるやり方は、やる気を奪うからね。彼らの目線に立ってみたらなるほどって思うこと結構あるよ。」 へえ、ってなんだかしみじみ納得した。私も同じように働いて、相手を理解しようと勤めていたつもりだったけど、ヨーロッパのやり方に感化されちゃっていたのかな。たしかに、急に仕事のしかたを変えられるわけないんだ。所詮私達は、ちらっと来ただけのボランティアなんだ。なるほどね、今日はちょっとお茶に付き合うことにするか。

(15)国際協力のあり方

   カブールには300を越えるインターナショナルNGOがあるそうだ。そして、アフガニスタン人によるナショナルNGOは1000を越えるといわれている。すべてのNGOが大きな活動をしているわけじゃないから、実際のところ恐らく名前も聞いたことのないNGOが沢山いるんだろう。実はカブールはNGOの飽和状態だと言われている。すでに市の中心部の物件の多くはNGOの所有になっている。地価が高騰し現地の人には手が出ない状態になっているという、皮肉なものだ。この地域には水道も電気も来るしすごく恵まれた地域なのに。これが、ここ1年の間にアフガン人のNGOに対する印象を悪くした原因のひとつでもある。 メディカルNGOに限らず、アフガニスタンでは様々なNGOが自分達のポリシーに基づき活動をおこなっている。人道支援の多くは子供や、女性、未亡人など社会的弱者を対象としたNGOで、メディカルNGOもいくつか独自に活動を展開している。MOHはカブール全体の医療システムの構築に向けて動き出している。すべてのクリニック、病院をMOHの傘下におき、統率を図る。たとえばNGOが援助している病院でも、MOHが国として全医療施設を取り仕切ると決めた以上、従わなければならない。いままでNGOはサポートする病院を、独自の看護手順基準で運営することができたが、MOHが入ってくると自分達のやり方にも意見されると言うことになってくる。働くスタッフの数も制限されるし、雇う人間も、今までは経験があれば雇うことができたのに、いわゆる国の定めた「免許」を持っていないと雇えないという具合だ。実はこれは今年に入ってからMOHがカブールに限って出した取り決めである。マタニティにも2人ほど免許のない助産師がいるが、長年NGOで働いてきたため、知識も技術も申し分なかった。とにかく、アフガニスタンはやっと、なにも規制がなかった状態から少しずつ国の秩序を回復している段階なのである。 そこで難しいのがNGOとの関係である。難しいというのもおかしいが、たとえばNGOによってはいかなる外的制約も受けないという決まりを持つものもいるからだ。MSFもそのひとつで常に独立性を重視する。つまり、アフガニスタンでは政府軍とタリバンの残党がいまだ戦いを繰り広げているけれど、そのどちらの側についてもいけないということだ。政府の傘下で働くと言うことになれば、タリバンの側からは敵と見なされる訳で、活動の安全を失うことになるのである。これにはコーディネーションも頭を悩ませていた。カブールでプロジェクトを進めていく以上、MOHの方針に従わなければならない、が公平性、中立性の確立はできるのか。MOHもまだ力がなく、カブール以外の医療機関をすべて統率するのは難しいようだったから、コーディネーションは政府の傘下に入らず、ニーズがあるところで新しくプロジェクトを開けないかと考えているようだった。時々地図を広げては 「この地域はどこも入ってきてないから、プロジェクト開く余地があるよ。」とか「ここはもうすでに他のNGOが入ってきているんだよ。」 とか、なんだか、場所とり合戦のような感じに思えて、不思議だった。その国に入ってきて活動をするのに、その国の方針に従わないっていう考え方もどうかなと思った。まるで陣地とり合戦みたい。どっちでも良いけど、ニーズがあるところに行こうよと言いたい。 他の医療NGOも同じように場所を探しているようだった。私達が持っているようなマタニティを開きたいと考えているNGOはいくつかあった、がMOHが新しいプロジェクトをカブールに開くことに反対していた。カブールには十分な医療施設があると言うのがその理由だ。その代わり、カブール以外の農村部にプロジェクトを開くように要請していた。日々多くの帰還難民が到着し、人口が急激に増加しているカブールにニーズがないと言うのはおかしいと思うが、まったく病院がない県外の地域をサポートしてほしいと言うのがMOHの意見だろう。私達のクリニックには、多くの見学者が来たが、そのほとんどの団体がクリニックを開く場所を探していた。やはりMOHとのミーティングでカブール市内にクリニックを持つと言うことが難しく、プロジェクト事態の存続が危ぶまれているNGOもいくつかあった。カブールは諦めて、じゃあ、他の地域にクリニックを持とう、と他の地域でクリニック開設可能な地域を探している団体もあった。 アフガニスタンで活動する上で一番のネックは安全面の問題だ。国連軍ががっちり警備しているカブールと違って、安全の確保されている地域を見つけるのは難しい。特に南部カンダハール周辺は不可能に近い。だけど、この軍隊によって保たれている治安なんて、脆いものだと思ってしまう。軍隊の近くにいればいるほど、軍と同一視されて攻撃対象になりうるではないか?一般に安全だといわれている地域はただ単に、国連部隊が駐在していると言うだけのことなのだ。 新しいプロジェクトを開くのに人気だったのは石仏で有名なバーミヤンだった。比較的治安がいい、と言うのが理由だ。だが、カブール以外でマタニティを開こうと思うと難しいのは人材の確保だ。カブール以外で、免許を持った、きちんとした看護教育を受けたスタッフを見つけるのはほとんど不可能だ。で、通訳だって女性の通訳を見つけるのは難しいだろう。カブールから優秀なスタッフを勧誘すると言う手もあるだろうが、カブールに住む多くの人は、家族親戚から離れるのを嫌がるのでこれもまた難しいだろう。国連や他のNGOでも人材の確保が難しく、平均からすると桁外れに高い給料を提示しているところもあった。それでも家族の反対があって、働きたくても働けないと言う人も多かった。そんなわけで、アフガニスタンで活動の場を見つけると言うのも、簡単ではなくなってきているようだった。

(16)幸せのかたち

   以前、短期間の臨時でメディカルコーディネーターが来ていたことがあった。彼はもともとは国際赤十字で働いていたことがある人で、MSFでの活動も長かった。経験を生かして、新たにプロジェクトを立ち上げたりするときに、サポーターのような感じで、若い医師のサポートをしたりしていた。彼の子供が30歳で、私と同じような年だったから、私はひそかに 「お父さん」と呼んでいた。彼はお酒が好きだったので、よくメンバーで集まって食事をしたりしていた。酔って議論を吹っかけるのが好きで、ちょっとひねくれたところが、自分と通じて結構楽しかった。あるときとても面白い話をしたことがあった。ちょうど、他のフランス系のNGOも交えてちょっとしたパーティーをしていたのだが、彼は 「アフガニスタンの女性と、フランスの女性はどちらが幸せか。」と言う質問をみんなに投げかけた。 「もちろん、フランスの女性のほうが幸せさ。」と他のNGOの彼は即答した。 「んー、多分フランスの女性の方が幸せよ。自由があるもの。アフガニスタンの女性には自由はないもの。」 と、クリスは答えた。私は実はよくわからないなあと思っていた。戦争があったから、現在の状況は過酷なんだけど、文化とか習慣の面から、どちらが幸せかというのは簡単に言えないんだよなと言うのが私の考えだ。状況が恵まれているとか、生活が楽だとか、そう言う簡単なことが単純に幸せに直結するのかどうかわからない。水道がないところに水道が通って、暫くは人はうれしいと感じるだろうけど、それがあるから「幸せ」というのとは違うような気がする。幸せってすごく漠然とした質問なんだ。彼はフランス人2人の意見をふーんという感じで聞いていたけど 「ほんとにフランス人が幸せって言いきれる?」っていって「フランス人の女性は確かに自由はあるかもしれないよね、でもいわゆる自由でみんな幸せなんだろうか。若い女性が結婚もせずに妊娠して、シングルマザーになることも自由だし、生活に困って娼婦になるのも自由だ。だけど、自由でそんなに幸せだろうかと思うんだよ。確かにアフガニスタンにはすごく厳しいルールがあって、女性は自由に何かすることはできないかも知れないが、一人シングルマザーになって、一人で子供を抱えて育児放棄するなんて事はありえないじゃないか。未亡人になったって、家族が彼女を受け入れて養っていこうとするだろう。そういう家族の形を持っているほうが実はしあわせなんじゃないかって思うんだよ。働く機会も学ぶ機会も失ってきたのは内戦のためだが、それがなかったらこの国の人は基本的に幸せなんじゃないかと思うんだよ、ぼくらよりもずっとね。 なんでも西洋化していこうって考えは、間違っているんじゃないかと思うんだよ。地域のムッラーにおまじないで治療してもらって、それで治らなくたって、本人達が納得して受け入れられればそれで良いんじゃないか。自分たちの社会が正しくて、こっちの社会が間違ってるなんて、言うことはできないだろう。」 彼の言うことは、なんだか私がインドネシアとかベトナムに行った時に感じたことと同じようなことだった。実はこういう質問の形が非常に難しいんだけど。 「でも、やっぱりフランス人の女性が幸せだと思うわ。私達には権利があるから。自分で何かを選んでいける権利よ。」 ってクリスはいくつかまた反論していたけど、権利って言うのもなんだかあいまいなものだな。自由に好き勝手やってきた人間には、自由である権利が大きいかも知れないけど、古くから家族のために働いてきて、そう言う世界しか知らなかったら、自由とか権利とか考えることもなく過ごしていけるじゃないか。
   こう言う話になると、私の偏見なのかも知れないけど、欧米人と日本人の考え方の違いに直面する。特に、自分は多くのヨーロッパ系NGOの人と一緒になることもあるから、彼らの考え方の強さに圧倒されることが多かった。彼らは、自分達が一番だと思っている。文化的にも、医療の面でも、こういった国際貢献のやり方についても、どこからくるのかわからないくらいの自信に満ち溢れている。アフガニスタンに来たってワインとチーズは欠かせないし、DVDが見れないだの、衛星テレビが見えないだの、自分達の生活をそのまま持ちこむやり方をしている。私なんかは、無ければ無いでいいんじゃあないの、という考えだから、文句が多いなあと思ってしまう。私やもう一人のアジア人であるカリンは、いつもこのフランス的な考え方と、アフガン人の考え方の間に立って、右往左往していたように思う。自分達のやり方が一番だと思えるのもすごいなあと思うけど、本当にそうなのか?と疑問を持つことは大切なんじゃなかろうか。このチームにいて、この臨時のメディコ以外で、こうした援助の仕方に疑問を持っている人はいなかったと思う。彼は長年あちこちのフィールドをまわり、その土地の人達が、自分達の文化や習慣などに誇りをもって生きているということを、肌で感じてきている気がした。私達の考え方も、良く理解して、何度も話し合いの時間を持ってくれた。 「良い資料がない。」と言えば、どっさり本を持ってきてくれた。彼のおかげで、何をどう進めていこうかと言うことが少し見えた。
   私はこういう仕事してみて、一番に優先させることはとりあえず「人の命」って言うことで良いんだと思っている。難しいことは抜きにして、人命が脅かされているって言うことが問題なんだっていうことにした。権利とか幸福論とか開発とかそういうのは全部後回しでいいや。まずはそこんとこ、最低限保障されるようにお手伝いしているだけのことだ。緊急医療援助と言うのがMSFの主な仕事のやり方で、危機を脱したと判断されたときに、開発系NGOに仕事をバトンタッチしていく。開発援助と言うのは、その国の文化的背景や、生活背景を無視しては考えられないから、インターナショナルのNGOよりもナショナルNGOが仕事を引き継いでいくことができたら、なお良いんじゃないかと思う。
   どっちの世界が、いいか悪いかで、簡単に判断はできない。どちらが幸せかと言うのもわからない。アフガンスタッフからすると、この年で結婚もしないで、家族とも離れて生活している私は、幸せには映っていないしね。私の方が心配されちゃってるもんね。自分の基準だけでものを見ていたら、多分きっとなにかずれが生じてくるんだろうな。

第3章(1)〜(8)(9)〜(16)(17)〜(24)

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