アフガニスタンボランティア −国境なき医師団助産師の6ヶ月−
波多野 環
<第3章 クリニックでの日々>
(1)番号を配るという診療
MSFで働くようになって、クリニックでまず驚いたのは、診療の始まる前に番号を配るということだった。クリニックには、女性外来・婦人科外来・小児科・男性外来・ファミリープランニング・助産師外来・心理療法プログラムの各セクションがあり、すべてをMSFがサポートしている。雇われている医師は合計6名。診療は朝の8時半から始まるが、その前に患者さんは番号をゲットしなければいけない。いわゆるトリアージと言うやつだ。優先順位をつけて比較的重症の人を早く診察できるようにする仕組みだ。ところが、このトリアージが難しい。なんといってもみんなが診療を受けたい。当たり前のことだ。午前中20人、午後は15人とかドクターごとに人数を振り分けるわけだが、すべての人に番号を渡せないことがある。そういうときは、重症のケースを除いて午後の番号をわたすなり、それもだめなら翌日戻ってくるように説明しないといけない。一応クリニックにはトリアージナースなるものがいるわけだが、なかなか難しい仕事である。
ナジーはかなり体格のいいごっついおっかさん的な女性で、彼女が朝のトリアージの責任者である。だが、患者によっては番号がもらえないとわかっても「遠くの村から来ていてとてもじゃないけど明日来ることなんてできない。」とか、ほんとはそれほどひどくなくても「ものすごく痛い!」
と騒ぎ出すケースがあるので難しい。私もよく患者さんにつかまっていた。はじめ私は番号を渡す、診療にリミットをつけることに疑問を感じたが、働くうちに納得した。人数を限らずにすべての人を診ていたら、ドクターが潰れてしまう。診療時間は昼の4時(冬は3時)までだが、それまでの勤務は本当にきつい。次々に患者を診なければいけない状況でもし残業なんてくり返していたら、続けていくことはできない。
実はクリニックにくる患者のほとんどが大した事の無い病気だったりする。大人で多いのは「ジェネラルボディーペイン」なにかって思うけど、多分いわゆる筋肉痛とか関節痛とか、どこここ痛いっいうケース、もしくはいわゆる「風邪」そして、夏になると増える「下痢」
子供にいたっては、風邪が多く母親が「肺炎だ!!」といってつれてくるパターンと「おなかが痛いようだ」
といって新生児を連れてくるなど、よくわからないけど泣き止まないというケース。そして「下痢」これも成人同様季節によって増加する疾患で、大人に比べ脱水になりやすい子供には深刻な病気である。そんな中から、たまにほんとの重症がいたりするので、やはり簡単においそれと番号が無いからといって追い返すわけにはいかず、くたくたになっているドクターに「そこをなんとか」
とお願いして、患者さんを連れて行くことも少なくなかった。クリニック周辺には市場があり、民家が密集している地域ではあるが、水汲みようのポンプはバザールのあちこちにあり、安全な水を得られる状況にあるだけ、難民キャンプより恵まれていた。ただ、この水も、そのまま飲んで安心なほどきれいなわけではなかったと思う。少なくとも私が生水をのんだら、間違いなく下痢になっていただろう。
所で、アフガニスタンの人は、私達とは違って、同じものを食べてもおなかを壊さない人が多くて、おかれている環境の違いをしみじみ実感した。いちいち食べ物でおなかを壊していては、生きて行かれないってことか。私とカリンはしょっちゅう下痢で苦しみ、「学ばないやつら。」といわれていた。とほほ。それでもやはり子供は、同じように下痢になったりすることが多いので、クリニックでは患者教育に力を入れていた。下痢の多くなる時期には、その話題をメインにして、下痢の予防法について話をしたりしていた。難しいのは、字が読めない人達に教えるということだろう。長年続いた内戦のせいで、この国の人達は十分な教育を受ける事ができず、特に女性の識字率はものすごく低い。そして、曜日感覚もあまり無いし、何月何日というのも知らない人が多い。そのため、次にいつクリニックに帰ってきてもらうかということを説明するのが難しい。クリニックではアフガンカレンダー(アフガン歴、西暦とは異なる)を渡して、1日ごとに日を消していく方法で次の受診日を伝えていた。
無料で診療を提供するMSFのクリニックはこの地域の人達には無くてはならないもので、朝の6時から番号を得ようと毎朝人が集まってくる。冬の朝ともなると、カブールでも気温はマイナス5度以下である。そんな中やってくる人たち全員に番号を渡せないときはとても心苦しい気分ではあったが、より重症の人に優先的に診療が行き渡るようにしていたシステムは、効率的だと思った。実は、実際に現場に出て、働くスタッフの環境を知る前は、番号を渡して制限をつけるということに違和感があった。どんな人でも医療を必要としている人は患者である。でも、現場の許容量を越えるようなやり方は長続きしないのである。
助産婦外来でも同じ事がいえた。スタッフの人数を増やし、番号を増やしたりして、毎月増加している妊婦検診に対応したが、いくら人の役に立ちたいと思っている現地スタッフでも、次々やってくる妊婦達に、ついには嫌気が差してきてしまうのである。フィルコは「一人の患者につき診療15分として計算して、4人は1時間に診れるんだから、そのように番号を与えて、助産師も診療をてきぱきと」
と、常に助産師外来の診察患者数について、意見をしてきたが、実際のところ医者と違って、すべて(カルテを探すところから)やらないといけない助産師外来は、なかなかに効率が上がらなかった。レジスターナースを置くことを提案したが却下され、助産師の数を2人から3人に増やして対応したが、それでもカルテを探すということになれないのか、もたもたとしている感じであった。私が来てから1ヶ月はこの助産師外来のチャート整理でつぶれてしまったくらい整理整頓のできていない状態だった。こういう整理整頓の能力のある人がいなかったらしく、チャートは番号ごとに並んでいない状態で、いったいどうやってやってきていたのかと思ったくらい。チャートのすべてを整理し、ファイルごとに仕分けすることをはじめ、診療の手順を見直すことで、なんとか助産師外来の患者数の増加にも対応する事ができるようになった。月平均800件前後だった診療数を1000件以上にまで対応できたのはうれしい出来事であった。
「番号が得られなかった人は次は戻ってこないかもしれない、そのまま妊娠中異常があってもこないかも知れない」
そういうことを常に頭において働く姿勢を助産師に教え込むのにもかなり時間がかかったが、最終的には「できるだけ多くの人に妊婦検診を」
という考えで一致し、助産師達は黙々と働いてくれた。
アフガニスタンでは、できるだけサボろうという考え方があって(どこもおなじね)、同じお金をもらうなら楽なほうがいい。ってどこの国でも同じだなあと思うことが、かなりあからさまに主張されていて、おもしろいなあと感じた。私が顔を出さないときと、いるときとでは診療患者数が違う。これははっきりしていた。午前中お産で忙しくて、外来をのぞきに行けなかったときに、午後ひょっこりのぞいたらおばちゃん助産師がベットでいびきをかいて寝ていた。さすがに苦笑したが、そのときはそれまでに診た患者数が十分だったので、あえて起こさずにそのままにしていたことがあった。
はじめのころ、何かって言うと手を抜きたがる現地スタッフに、いちいち頭に来ていたが、しばらくするとそれは無くなった。あまり期待しなくなったといえなくも無いが、これがこの国のペースなんだと受け入れることにしたからだ。多分どこの国から来ても、こういう仕事をしたら、まず「現地スタッフが働かない」
という不満が出てくる。これは確かにもっともだけど、実は私達は自分達の時間感覚を押し付けていることに気づかされる。その国にはその国のペースがあるのだ。アフガニスタンでは、道端を歩いていても、買い物をしていても、はたまたクリニックで他のセクションに顔を出したときも、とにかく「お茶飲んでいかないか」
と声をかけられる。なんでもないことをつらつら話してお茶を飲むのだ。たまにそれは仕事中にも、疲れたと思ったら何はさておき「お茶」なのだ。命に関わる重症の患者が目の前にいない限り、私は特にこの「お茶タイム」を否定しない様にした。こうして休憩を取らないと仕事の集中力も長続きしない。
多分、他の国からくると自分達の現在の状況と比べてしまうから「なんでこんなに働かないんだ」とか「なんでこんなにレベルが低いんだ」
っていらいらすることがあると思うけれど、そこはそれ、国それぞれ。それに、私達の国だって長い年月かけてここまで成長して来たんだし。怒られるかも知れないけれど、クリニックで働き、病院にも訪問に行く中で、その国の医療のレベルが見えてきて、助からない命と助かる命がはっきり見えてくる。もし、それが日本なら助かる命としても、私は常に「今は仕方ない」
と心の中で思っていた。今この国は、失ってしまったたくさんのものを取り戻している最中なのだ。医療のレベルだけ生活のレベルを越えて飛躍的に改善するなんてありえない。自分達の活動の限界を知ること、そしてそれは常に変わっていっていることを知ること、それはとても大切なことだ。
ただがむしゃらなだけじゃなく、ここでの活動はとてもゆっくりとしていた。毎日繰り返される平凡な毎日が、普通の生活というのを感じさせた。
「あー、こうして続けていくしかないんだろうな。」多分誰でも、助けられるのに、助けられない。と言う状況におかれたら、すごくもどかしい思いをするし、じぶんのしていることがすごく小さなことに思えて、がっくりしてしまうだろう。でも、もともと自分のしていることなんて小さなことなんだと思う。小さなことの積み重ねで、だんだんと地元の人間が育っていくのだ。多分こういうとこで必要なものって「冷めた熱意」
って感じかな。変な言い方だけど、本当にそんな感じがした。熱いだけで空回ってはだめだし、冷たすぎて熱意もないようじゃ伝わらないし。そういう微妙な感じがあるんだ。続けることって大きいんだろう。やはり淡々とやることなんだ。そういう背中からきっとみんなは何かを感じとってくれるんだろうなと思う。
(2)血液検査もない検診
クリニックで働き始めて驚いたことのひとつに、検診期間中血液検査をしないこともある、ということだった。日本で妊婦検診といえば、血液検査で感染症の有無、貧血の有無、糖尿病など病気の有無を確認することができる。血液型の検査はもちろん、妊娠中毒症の際の悪化の状況や、肝機能もろもろ血液検査で得られる情報は多い。だが、このクリニックで検査できるのはかろうじて血球検査(赤血球、白血球、血小板の数など)と後は糞便の検査程度であった。妊婦検診では、顔色でまず貧血が無いかを予測する。見た目貧血そうなら検査してみる、といった具合だ。全例に行うわけではない。アフガニスタンのこの地域に住む人達は、ほとんどが慢性的に貧血の状態である。そこへきて、普通正常でも妊娠すると血液量の増加に対し、血球の増加は緩やかなため、自然に血液が薄まり、元が貧血気味の人は重症化しやすい。検査では主にヘモグロビンの値を見るのだが、普通日本人女性で11から14くらいのヘモグロビンの値も、ここでは10以下が普通で、妊娠すると9以下8以下というのは普通の状況だ。こちらで出せる薬は硫酸鉄と葉酸のコンビネーションピルで、それでも回復せずにヘモグロビン6なんていう状況で、フラフラで病院に搬送するケースもたびたびあった。
基本的に皆が貧血と言うのには、さまざまな要素がかみ合っている。まずは、貧困。 お金が無いから、食べ物が買えない。後は、知識不足。妊娠中どんな食べ物が好ましいのか、ということを知らないから、食生活に偏りがでる。主食はナン(アフガニスタンのパン)でおかずがご飯、なんてよくある話。あとは、夫の不理解。妻が妊娠中でも、だいたい妻の健康に気を使う夫はほとんど見ない。ほとんどの人は職がなく、毎日日雇いの仕事で家計を支えている。自分のことで手一杯なため、妻の健康にまで気が回らないというのが現実だ。それと同じくして、家族計画の問題。毎年毎年、貧血になりながら、その回復を待たずに次の妊娠を繰り返していては、健康を回復する時間が無いというのもうなずける話である。全体的な健康のレベルが明らかに違っていて、妊婦検診はアフガニスタンの女性の置かれている状況を知る上で、とても役に立った。みんな服をたくさん着ているから、外からは良くわからないけれど、女性の多くはとてもやせていて、おなかだけがポーンと目立つ妊婦さんがほとんどだった。
中には初めてクリニックを訪れた妊婦さんで、以前に子供を2人3人と原因不明で亡くしているケースがあり、バザール(お店がたくさん集まっている市場みたいなところ。プライベートのクリニックもある)に血液型の検査に行ってもらったら、Rhマイナスの血液型である事がわかり、そのために子供を亡くしていたという事実が判明したことがある。日本で言う市場で血液型検査がビジネスとして行われている。もし、前回の妊娠から血液型の検査をしていたら防げたかもしれない。そのような事例から、これまで全員に行ってこなかった血液型の検査を、初産婦と血液型を知らない経産婦すべてに行うことになった。実はMSFで行っている援助は完全ではなく、「なんでこれはやっていないんだろう」と疑問に思うことも多々ある。そうしたときに、もし本当に必要なら新しいことを取り入れていくように、コーディネーションに掛け合わないといけない。できることは実現できるし、それほどの必要はないと判断されれば却下されるが、常に現場の声は発信しつづけなければならない。不思議なもので、人間は置かれた状況にすぐに慣れてしまうから、問題点をすり抜けてしまいがちだ。自分でも「あれっ」
と思ったことを大事にしないと、解決の糸口をつかめないまま過ぎてしまうのである。
血液検査をできないかと言う提案も、現場のアフガン医師から出てきた意見で、はじめそれが出たときフィルコは「なんで全員に必要なの?」
と、わからない感じだった。実際に現地で働いていると、以外に多くRhマイナスの妊婦さんに出会う。国によって血液型の比率は大きく異なると思われるが、アフガニスタンにいて、結構Rhマイナスの血液型を持つ人に出会った。どうもそれほど珍しくない血液型らしかった。ちなみにレイリーのお姉さんもRhマイナスのB型だった。
以前にパキスタンに行っていた人、イランから戻ってきた人のなかに自分の血液型を知っている人がいた。本当だったら、すでに知っている人を除いて、全員に行うのが望ましい。そのことについて私も意見をし、じゃあ、やってみましょうかという話になったのだ。
必要最低限と言うのは難しい。でも、それをしなければ赤ちゃんの命が危険にさらされると言う面から、この血液検査項目がひとつ増えるのは当前のように思われた。実は妊婦検診というのは、女性にとって健康診断を行うまたとない機会である。妊娠は病気じゃないし、健康な人が病院で診察を受けると言う考えは、ここでは普及していないし、そんなことできる余裕のある状況じゃないからだ。妊産婦を取り巻く環境の厳しさを実感する。
ともあれ、これから検査キットを取り寄せたり、検査の仕方を習ったりで、実際にできるようになるまでには、まだまだ時間がかかるようだ。
(3)妊娠週数の不思議
アフガニスタンで、正しい妊娠週数を把握するのは難しい。妊娠週数というと、まず前回の月経の初日から満280日ごろを予定日とするが、月経周期の不順な人もいるので、超音波で胎のうの大きさを計ったり、頭臀長を計ったりして補正をかける。それでたいてい妊娠週数は正しくなる。あとは妊娠初期には4週間ごと、中期には2週間ごと、後期に入ったら1週間ごとに検診を受けてもらうことになる。
ところが、アフガニスタンでは、妊娠週数を知るのはとても難しいことなのである。まず、女性のほとんどが最終月経の日を覚えていない。先に述べたように、日にちの感覚が無いのである。毎週の出来事で金曜日はイスラムの休日にあたり、その日は家族全員が集まったり、親戚の家をたずねたりするので今日は何曜日ということは知っている人が多いけど、何日かという質問には答えられない人が多い。そこで、クリニックではおなかの大きさで妊娠週数を決めていた。これがかなり難しくて、触る人によって診察に差が出るから、おかしいときには4週間前に36週だったのが、今週来ても36週ということがおきていた。こんな感じだから、実際にいつが予定日なのかはっきりせず、時には予定日超過した例があっても、分かっていなかった例があったものと思われる。中には、自分の出産予定日をはっきり知りたいということで、バザールに出かけていって、超音波検診を受けてくる人もいた。超音波の検診が受けられるということ自体驚きだが、「あるところにはある」
というのがアフガニスタンである。毎日食べるのに困る人がいるかと思えば、携帯片手に国連関係で働いている人もいる。
ところで、この妊娠週数に関わる話は他にもあった。アフガニスタンは、非常に貞操を重んじる国で、表向き結婚するまでは肉体関係を結ぶというのはありえないこととされている。昔は、結婚前の娘が恋人と肉体関係を持ったことに激怒した父親が、娘もろとも殺したと言う話が、聞かれるくらい。殺すまで行かないにしても、結婚前の娘が妊娠、出産するというのは、アフガニスタン人にとって許しがたい行為なのである。
そう言えば、処女かどうかと言うのも、大きな問題で、初夜で出血がなかったといって大問題に発展しているカップルがいた。彼女は間違いなく処女だったのだが、初夜で出血をしなかったために、夫から疑われ、義母に連れられて病院に検査に行くことになったのだ。たまたま夫の妹が助産師だったので、彼女も兄嫁に付き添い病院に行ったそうだ。
「誓って私は貞操を守ってきた。」と兄嫁は泣いていたそうだ。なんとも気の毒な話である。いったいどうやって検査したのかが謎のままなのだが、「彼女は処女だった。」
という結果が出て、夫の疑いは晴れたのだった。そんな目にあうなんて、ちょっと信じられない話である。男性は初めてだろうが、何人と関係を持とうが、何の問題もないというのが全く腹立たしい。
ある日クリニックに行くと、ちょうどお産が終わったところで、満期で産まれたらしい元気な女の子が泣いていた。「この子は34週で産まれた」と助産師長がいうので
「なんで?どう見ても満期だよ。」と答えた。すると
「彼女が結婚したときから数えると34週って事になるのよ、親戚にはそうやって伝えてって言われてるの。」
とのこと。なんだか拍子抜けすると同時に、そこまで体裁を気にするということに驚きを感じた。満期でぷくぷくの赤ちゃんを抱きながら
「この子は早産だったの。」
と皆に話さないといけない母親も気の毒だが、まあ、ここはこの子の将来のためにも話を合わせておこうかと2人でうなずきあったのだった。
その辺の厳しさはどこから来ているのかな、私はコーランを読んでいないから良くわからないけど、レイリーに言わせると
「伝統」と言うことだった。伝統ってなんか技術を伝えていくって感じで違う気がするしなあ。
こういう結婚前の妊娠が原因で中絶するケースもあると聞いた。アフガニスタンで中絶すると言うことを考えていなかったけど、あるらしい。結婚前の若いカップルで結婚の話もないのに、肉体関係を持ってしまいやむなく中絶という話になるらしい。結婚できればいいけど、結婚には親の承諾も必要になるし、経済力も必要になるし、好きなら結婚できると言う簡単なものではないようだった。
そんなわけでアフガニスタンには、34週で丸々した元気な赤ちゃんとか、存在しちゃうことになるんですね。
(4)年齢を知らない女性達
アフガニスタンの女性の中には、自分の年齢を知らない人が多い。この国には出生届なるものが無い。だから、国民の人口を把握するのも、死亡率を把握するものとても難しい。産まれた赤ちゃんは登録もされず、病気で亡くなればこの世に産まれてきたことさえ、抹消されてしまうような状態なのだ。両親が高学歴で、海外での生活経験があったりする家庭に育った人は、自分の誕生日を知っているが、それ以外は自分が産まれた年も知らない。
そんなわけで、検診の際に年齢を聞くのは大変野暮な気がするが、一応聞くことにすると
「結婚したときが3歳だったから、今は7歳だ。」とおおまじめに答えられてしまう。初産婦じゃないし、見た目そんな年でもなさそうだし、いっか。とそこは聞き流すのみだ。この手の話に、私は笑うことができないのである。そういう環境に育ってきたから仕方のないことであって、詳しい年齢がわからないからといって騒ぐほどのことじゃない。
不思議なことにクリニックの助産師たちは、こういう人達をある意味見下している感があった。助産師たちは自分達とそういう人達を区別して
「ノンエデュケイテッド」と呼んでいた。「教育のない人達」という意味で。自分達は「エデュケイテッド」
である。アフガニスタンの教育の格差はとにかく大きい。戦争中、内戦を恐れてイランやパキスタンに逃れることができた人達は、まだ恵まれた生活層の人達であった。彼らはパキスタンやイランで高校や大学に行き、英語が話せるようになって帰ってきた人達なのである。実はこういう階級意識は、アフガニスタンにいると強く感じる。どうしてもクリニックの中でも、医者と患者の立場はイコールではないのだ。だから、なかなか生活指導をしても、理解してもらえずに
「私達がいくら説明したって、あの人達は理解できっこない!」ときれてしまうこともたびたびあった。
ところで、実はその助産師たちも年齢に関しては結構適当なところがある。ある日オフィスから頼まれて、マタニティスタッフ全員の年齢と経験年数を聞いてくるようにいわれて、スタッフルームに張り紙をしておいた。多分ある人は正直に書いて、ある人はさばをよんでるという感じでなかなか興味深かった。たとえば、サフィナは29歳なんだけど、経験年数が16年と書いてあり、いくらなんでも13歳から助産師はないやろう、という感じだったし。老眼でチャートの字が読めなくて困っている、見た目おばあちゃんのセイダが38歳とか書いていた。孫がいるでしょうが!!と思わず突っ込みが入ってしまう。どう見てもぴちぴちギャルのファトマと、マタニティの師長の年齢がひとつしか違わないというのにも納得がいかなかった(笑) まあ、
「若くありたい、でも経験年数はあるってところを見せたい。」というわかりやすい心理に触れた気がして、とても面白かった。ちなみに、私は赴任時いつもジーンズにプルオーバー、ノーメークと言う格好だったので
「22歳くらい」とか「18歳くらい」とか言われて、とにかく甘く見られていたので言いたくもないのに
「29歳です!」って力説する羽目になったのだった。女性としては若くいたいけど、仕事の面では若いっていうのはマイナス要因になるんだよね、ここは。それにしても、ビビグルの若々しさには目を見張った。彼女は5人の子持ちの助産師なんだけど、見えない!夜勤明けでも疲れひとつ見せず、ばっちり化粧して若い!レイリーはいつも
「アフガニスタンの男性は自分の妻にはいつもきれいでいてほしいと思うんだよー。結婚するときも、ちゃんと身なりに気を使うことができるかって言うことが、家事をきちんとやっていけるかって事の指標にもされちゃうんだから、毎日の化粧だってちゃんと意味があるのよー。自分のこともケアできないって思われちゃうもの。彼女みたいになるのが私の目標なの。仕事もできて、素敵な旦那様がいて、たくさん子供がいて。結婚したからって気を抜いていると、セカンドワイフにとられちゃうんだから!」
なんて、妙に実感こもっている。ありゃりゃー、わたしはいっつもノーメークだけどねえ。とにかく、マタニティの助産師たちは、みんなスーパーウーマンなのだ。年齢なんてわからなくても良いのかな、なんて思ったりして。
(5)TBA
開発途上国に行くと、必ず聞くのがこのTBAという言葉。TBAは「トラディショナル・バース・アテンダント」
の頭文字を取った言葉だ。この人達は、主に何をするかというと、自宅でお産の手伝いをするのである。アフガニスタンの女性のほとんどは自宅で出産をするといわれている。クリニックにくるのはほんの一握りの人達で、みんな自宅で出産することに抵抗はない。クリニックのコンクリートの壁や、分娩室の手術室みたいな雰囲気に気おされて、マタニティーから産婦さんが逃げ帰ってしまったこともあった。そういうわけで、自宅出産をする女性にとってTBAは心強い見方なのだろう。所が、近年このTBAが問題になっている。彼女達は十分な医療の知識がなく、地域によっては
「お産に立ち会ったことがある」というだけで、TBAを自認してお産の手伝いをしている人もいるのである。最近問題になっていたのは、TBAによるオキシトシン投与であった。
アフガニスタンの薬局はただ薬を売っているだけのところである。実は処方箋がなくても誰でもどんな薬でも買うことができる。ただ風邪を引いただけでも、薬局はたくさん薬を買わせたいために、2・3種類の抗生剤を一度に平気で処方する。アフガニスタンの薬信仰は絶大だ。誰でも病気になると、沢山の薬を飲めば治ると思っている。
「様子をみましょう」とか「よく休めば治りますよ」なんて言葉では人々は到底納得しない。薬をくれない医者はやぶ医者なのだ。
「医者のくせに薬も出せないのか?」という世界である。たまにクリニックにも薬局から買ったという薬をどっさり持って
「これを打ってくれ。」とやってくる人がいた。クリニックに来れば薬はただで手に入るのに、中には「ただのものはよくない。」と硬く信じている人もいて、日本で言うところの
「安かろう、悪かろう。」の考え方なんだろうなと、妙に親近感が湧いたものだ。
さて、そのTBAで一番困るのは、出産を早く終わらせるために
「オキシトシン」注射を頻繁に使うことにあった。オキシトシンは日本でもよく使われる薬で、主に微弱陣痛の際の分娩促進や、産後の子宮収縮を促し出血を最小限に押さえるために使われるものだ。分娩促進に使われるときには、当然終始モニターで陣痛の状態と、胎児の状態を監視しながらのお産になる。点滴に混ぜて微量の調節ができるポンプで、陣痛の状態や、胎児の状態をみながら慎重に投与されていく。もちろん何かあればすぐに帝王切開に切り替えられる設備がなければ通常行われない。それがここでは量も適当に筋肉注射で使われてしまうのだ。普通この薬は分娩促進目的で筋肉注射はしない。点滴と違って、微量の調節ができないからだ。だが、ここでは当たり前のように筋肉注射で行われてしまうのだ。注射神話は本当に根強く、マタニティにくる産婦の家族が
「早くお産が終わるように注射をしてくれ。」と要求することが多かった。産婦本人が希望しないと言うのが面白いところである。アフガニスタンは義母の言うことに、嫁は逆らえないのである。
ある夜勤の日、一人の産婦が半狂乱になりながら、家族に抱えられてマタニティにやってきた。彼女は昼間TBAのところにいき、オキシトシンの筋肉注射を一度に3アンプルも打たれたというのである。なかなかお産にならず、あまりの痛さのため半狂乱になったため、TBAがクリニックに行くように言ったのだそうだ。診察しようとすると、外陰部は紫色に腫上っていた。子宮口が開いていないのに、無理やり陰部を押し広げようとしたのだろう。医療の知識があるものには考えられない処置である。
「病院に送ろう。」という助産師を説得し診察すると、子宮口は全開大、児頭も下降しており、そのまま分娩室へ移動し分娩となった。そのように無管理に注射を使ったことで、過強陣痛だったため、胎児には大きなストレスとなっていた。仮死状態で産まれてきた赤ちゃんの蘇生をし、無事泣き出したときは心底ほっとした。
日本では考えられないことがここでは当たり前のように行われている。またあるときは、同じようにオキシトシンを打たれた女性がクリニックにやってきたが、子宮口はまだ3センチほどしか開いておらず、胎児の心音が著しく下降していたため、救急車で病院に搬送したことがあった。救急車を待つ間も、唯一クリニックにある子宮収縮抑制剤のサルブタモールを使っても過強陣痛が収まらず、子宮破裂の危険もあったため、スタッフ全員祈るような気持ちで救急車を待った。彼女は2回目の妊娠ということだったが、はじめの子供をお産のときになくしていた。なんでTBAのところに行くんだと、ものすごく腹がたった。この子も助からないかも知れない。
カブールは首都というだけあって、農村部に比べれば比較的医療は整っているほうだ。市内にはいくつか緊急の手術ができる病院もある。私の滞在中に、アフガニスタンの保健省はカブール市内のTBAの活動を制限し始めた。政府の認めた「免許を持った助産師」以外、医療活動をしてはいけないという通達を出した。実はこれはカブールだからできることであって、農村部ではいわゆる
「資格を持った助産師」を探すのは不可能に近いので到底無理な話である。が、ことカブールに置いては妙案のように思われた。通達が出てからクリニックの院長が、周辺のTBAとプライベートで分娩介助をしている助産師に注意をして回っていた。
「分娩の前にオキシトシンを使わないこと」「異常があるときはすぐにクリニックに紹介すること」
で同意したが、果たしてどこまで効果があるか疑問ではあった。分娩は自然なことで、注射を使わなくてもたいてい自然に産まれるものだ。それなのに、わざわざ必要ない注射をして助かる命を縮めるなんて、やるせなくなる。アフガニスタンの保健省は、資格を持つ助産師の養成と同時に薬局の管理をしなければいけないと思う。完全に破壊されてしまったシステムの立てなおしのために苦労しているのはわかるが、有害な薬が出回り、簡単に入手できる状況をまず変える必要がある。
あるMSFボランティアの医師は、田舎の薬局を訪れたときに、数種類の抗生剤と少ない薬の中に
「バイアグラ」があったといって驚いていた。農村部では、今でも権力者の老人が少女を妻として迎え入れることがあるという。そういう男性のためになくてはならない薬なのだそうだ。が、なんだか聞いててクラクラしてしまった。TBAだけではない、この国のおかれている状況は一言で言い表すことはできない。
(6)医療知識のない中で
アフガニスタンでは、男性は一家の長として絶対的な権力を持つ。女性は常に影の存在である。マタニティで働いていて、夫と関わる中でさまざまな問題に直面した。私達のクリニックはベーシック・エマージェンシー・ケアユニットと呼ばれていて、基本的に手術を必要としない程度の症例のみ取り扱えることになっている。したがって、もし手術が必要な状況だと判断された場合、手術可能な病院へ搬送することになる。そこで、必要になるのが夫の許可だ。こちらからは状況を説明し、病院へ搬送したい旨を伝える。だが、そこからがなかなか進まない。たいていの場合、夫は妻を病院に搬送することをいやがるからである。理由は様々だが、多くは病院の内情を知らず、
「男性がいるんじゃないか」とかいう理由で拒否することもある。
「なんだそりゃ」って思う人もいると思うが、アフガニスタンでは日常茶飯事だ。マタニティをオープンしたとき、はじめ産婦本人ではなく、義理の母達が視察にやってきたそうだ。
「ここのマタニティには男性のスタッフ、医師はいるのか。」と聞いて、いないとわかると嫁を連れてきたそうだ。
アフガニスタンの家庭に招待されるとき、普通男性と女性は別々の部屋に通される。MSFのスタッフは外国人慣れしているというのもあるから、一概には言えないが、男性は家に招待されてもその家の女性に会うことはない。その点私達は女性子供がいる部屋に通されて、その家の中をもっと深く知ることができるのである。
一般にアフガニスタンでは、結婚後の女性は他の男性に顔を見られないようにする。他の男性に妻を見られるというのを嫌うのである。そのためなのかどうか、アフガニスタンにはブルカとかチャダリとか呼ばれる被り物が普及している。タリバンがアフガニスタンを支配していた時は女性は必ずブルカをかぶらなければならなかったそうだ。あるスタッフは
「私は外を歩くときに男性に見られるのはいやなの。なんか居心地が悪くて。あと、外に出るときに化粧はしないわ。夫の前以外で魅力的である必要がないからよ。もし、化粧をして、他の男性にアピールするようなことしてたら、トラブルの元だと思うわ。私の夫は外に出るときは、わたしにブルカをかぶってほしいって言うし、私もそうしたいと思ってるわ。」
なるほど、一理あるような。アフガニスタンに離婚がないわけでも、不倫がないわけでもないと思うけど、私達の国に比べたら、そのチャンスは格段に低いといえる。
話がそれたが、そんなわけで「男性職員が働いている」病院に搬送すると言うのはなかなか難しい事になってしまうのである。
「命に関わることです。」と説得したことも一度や二度ではない。
ある日いつものように師長とミーティングをしていると、外来の助産師が駆け込んできた。子癇発作を起こしたらしき女性が担ぎこまれたというのである。すぐに女性を運び入れると、彼女はいびきの様な呼吸をしており、意識はまったくない状態であった。脳内出血の可能性がある。救急搬送しなければならないのは確実だ。すぐに救急車の依頼をし、その間処置にあたる。血圧は上が220、下は130。降圧剤を使ってもなかなかすぐには下がらない。彼女が以前にクリニックで検診を受けたことがあるかたずねると、1ヶ月前に
「重症妊娠中毒症」の診断を受け、紹介状を持って病院に行くように進められたという。しかし彼女は病院には行かなかった。なぜか。助産師たちはてきぱきと処置をしながらも、ちっ、ちっと何度も舌打ちを繰り返していた。彼女は夫の許可が出ずに、病院に行けなかったのだ。夫になぜ病院に行かなかったのか聞くと
「妊娠出産なんて、誰でもすることなのに、なんで病院に行かないと行けないんだ。大したことないと思っていた。」
という答えだった。アフガニスタンにいるとこういう出来事にしょっちゅう出くわす。男性に限らず、家族の無理解も大きく関係してくる。この女性は結局分娩後に脳出血の手術を受けたが、意識は戻らないまま1週間後に病院で亡くなった。
クリニックには、分娩のためだけにやってくるいわゆる「飛び込み」
も多い。大体全分娩数の半分を占める。たいていは正常な妊娠分娩経過をたどるが、10%くらいは異常で、多くは高血圧を主とする妊娠中毒症だ。中には、義理の姉と一緒にクリニックにやってきて、高血圧のために病院を紹介されたときに義理姉が
「私にも小さい子供がいて忙しいのよ。病院になんて行かないわ。」
と言ってそのまま産婦を連れて帰ろうとした例もあった。そこは、とにかく状況を説明して、病院に行くことを納得してもらわないといけない。
「もし家に連れ帰って、そのままお産をしたら、この人は出血多量で亡くなるかも知れません。それか、高血圧のために脳出血を起こして亡くなるかも知れません。」
と結構きつく話をする。そうしないと必要性が伝わらないからだ。助産師の中には気の短い人もいて
「勝手にすれば!!」と、説得するのを諦めてしまう人も出てくる。そこをなんとか説得して、私達の目的はなんなのか改めて話し合いをしたりもした。私達の活動の目的は、アフガニスタンの人達の命を助けること。それを忘れては、活動はできない。人々が置かれている状況にいらいらしているのは私達だけじゃない。だけど、今置かれている現状を踏まえて、やれるだけのことをやるだけなんだ。
クリニックの活動では、保健指導も大きなウエートを占めている。受診に来た人はまず保健指導の教室を通らないといけない。1日に何度かグループに分けてヘルスエデュケーターと呼ばれる人が指導にあたる。季節ごとにクローズアップされる話題が変わったり、いろいろと工夫を凝らして行われている。アフガニスタンで活動をしてみて、保健指導なくしては、援助はありえないと言うことを実感した。ただ薬をもらって帰るだけの活動では、また同じ病気にかかって戻ってくるだけだろう。しかし、予防法対処法を伝えることは他の多くの人を救うことにつながる。妊産婦検診にしてもそう、同じような指導を繰り返すだけだけど、それが次の妊娠の安全にもつながってくる。こうして考えてみると、外国で医療活動をすると言うのは本当に根気のいる仕事だと思う。その人達の文化的背景や、生活状況を踏まえた上で、その人達にあった指導方法が出てくる。食事指導にしても、その人達が食べている食事を踏まえた指導が出てくるのだ。しごく当たり前の事だが、
「繊維を摂りましょう」といって「ひじき」を薦めたって役に立たないということなのだ。
(7)子供事情
アフガニスタンの女性はたいてい子沢山だ。多産多死なので沢山産んでそのうち死んでしまう子供も多い。子供は家族の宝だ、そして大切な働き手だ。そのためアフガニスタンの人々は子供をできるだけたくさんほしいと考える。7人8人子供がいると聞いても、私も驚かなくなってしまった。 ただ、体調が戻る前に次々妊娠したりするから、女性の命を守る意味でも家族計画が非常に重要になってくる。未熟児が産まれる確率もぐっと高くなる。家族計画と言うのも、なかなか難しくて、前にも書いたように夫を巻き込んで女性主体で家族計画を進めるのは簡単ではない。クリニックに毎月家族計画のために訪れる人は300人程度、大分認知されてきていたが、その人に適した避妊法を勧めるのがなかなか大変だった。女性は家族計画に訪れる際すでに夫と話し合いをしてきていて
「夫は注射がいいって言ってたから、注射にして。」とか「コンドームがほしい。」
とか、とにかくその人にあったものを薦めたくても、すでにがっちり意見を決めてきてしまっているので、こちらの意図はなかなか伝わらないのである。女性は常に自分で何かを選び取る権利がないように思う。夫の意見に従うのみだ。知識がなければなおさらそうだ。それでもまだ、ちゃんとクリニックにくるだけ良いほうで、飛び込みで9人目とか10人目とか、まさに産み落としにくる人達よりはいいかなあと思っていた。
クリニックにいるときに2例ほど産まれた赤ちゃんをいらないから誰かにあげてほしいと言う人がいた。理由は
「夫が精神異常でとてもいっしょに暮らしていけない。暴力も振るわれ命の保証もないので、実家に逃げるつもりだ。」
と言っていた人。2番目は、ただ「子供が多すぎて、貧しくて育てられないからもらって。」
と言う人。アフガニスタンにはそうやって放棄された赤ちゃんのための制度とか組織はない。だから、院長が知り合いの中で誰か子供がほしい人はいないかどうか聞いて、その中から里親を選ぶという具合だ。
赤ちゃんをほしい人は山ほどいる。ぽんぽん10人とか産んでいる人がいる反面、不妊に悩む人がいるのも確かだ。アフガニスタンでは、結婚後できるだけ早く子供ができることを希望する。特に本人達よりもその両親にあたる人達からのプレッシャーは大きい。結婚後1年以内に妊娠しないとそれだけでかなり女性はあせるのだ。アフガニスタンでは男性は一応何人でも妻をもらうことができる。ただ、コーランによると、すべての女性を平等に扱って同じようにお金をかけないといけないから、貧しいひとは2人も3人も養うのは難しくなってくるが。さておき、子供ができないということは離婚にもつながるため、大問題なのだ。運良く妊娠出産できれば良いが、そうでなければ辛い日々を送ることになる。外来で結婚十年にして、初めて妊娠した女性がいた。妊娠がわかったとき彼女は涙を流して喜んだ。それでも悔しそうに
「もし、もう少し早く赤ちゃんができていれば、夫は2人目の妻をもらったりしなかったのに。」
夫の愛を独り占めしたいと思うのは当然の感情で、アフガニスタンの女性のほとんどは夫が2人目の妻を迎えるのはいやだとこたえている。彼女達には反対する権利がないだけなのだ。もし、彼女に子供ができなければ、離婚もやむなしと言う状況であり、セカンドワイフをもらったところで、離婚されないだけマシなのである。なんだかやるせない話だなあと思う。
あるときは、子供のためのNGOでお母さん達を対象に家族計画の指導をしたことがあるが、中に一人不妊症の女性がいて辛い身の上を話された。
「私は、実のならない木のようなものです。私には子供ができません。夫は2人目の妻をもらい、子供が生まれて私の居場所はますますなくなってしまった。2人目の妻と一緒に生活するのは辛い。義母は実のならない木に栄養は必要ないと言って、みんなの半分しか食事をもらえません。」
これを聞いたとき言葉が出なかった。彼女の置かれた状況が痛いほど伝わってきた。アフガニスタンで、不妊のしっかりとした原因を確かめて、それにあった治療ができるとも思わなかったし、私はその人の前でものすごく無力だったから。それがその人の置かれている現実なんだと受け止めるほかないのである。その人の家に行って、義母と話したいと思ったが止められた。家族内での彼女の立場が悪くなるのに変わりなかったからだ。
アフガニスタンでは、家での出来事、家族の不和など恥ずかしいこととして、口外することは善とされない。彼女がそこでその話をしたのは、そこが唯一話すことを許された場所だったからだ。家でも、近所でも話すことのできない胸のうちを、外国のNGOの所でやっと話すことができるのである。自分たちが活動することの意味をそこからもひしひしと感じた。社会の負の部分に風穴を開ける事を、無力な人達はNGOに期待しているのである。自分達で変えられない何かを、変えてくれるんじゃないかという期待である。自分はちっぽけな存在だと、しみじみ思い知らされたが、この国では本当にたくさんの人達が心に傷を抱えて生きてきているのだ。村に生まれた女性のいきる意味は、結婚して夫に仕え、子供をたくさん産んで、育てることなのだ。産めない人に権利はない。貧しい家に生まれて、小さな村から出ることもなく、いとこと結婚して一生その村で生きていく。そう言う現実がウワーッと迫ってくる気がした。幸せの形はいろいろだけど、選択肢のない人生なんてどうやっても私には理解不可能だった。そういう人生を受け入れようとしても無理だった。
彼女は自分のことを話して、幾分すっきりしたようだった。私はクリニックの産婦人科の医師を尋ねてくるように彼女に伝えた。きっと同じような境遇の人はたくさんいるんだろう。どれだけの人の心に触れられるんだろうと思った。できることなんて、何もないのかも知れないなと思った。女性の権利に関することを取り扱っているNGOはいるが、社会全体を変えるまでにはまだまだ時間がかかるだろう。
9人目の出産が双子だったお母さんに声をかけた。「かわいいねえ、おめでとう。」
「それならあなたに一人あげるわ、誰にもあげちゃだめよあなたが育ててね。」子供を巡る環境も本当に様々なのである。
(8)家族の中の女性の立場
アフガニスタンの女性は、非常に厳しい規律の中で生活している、と前に書いた。夫の意見は絶対であるし、義母の意見にも逆らうことはできない。以前のボランティアの中に、現地人と恋に落ちて彼と結婚したいと考えた女性が、結婚早々にあたっての必要なことがあまりに多くて、ギブアップしたと言う話を聞いて妙に納得した。たとえば、一人で外出したい時のこと。まず、夫に許可を得ないといけない。もし夫がいなかったら義母にお伺いを立てないといけない。で、義母もいなかった場合義理の姉に聞かないといけない。と言った具合だ。ありえない、でしょう。しかし、アフガニスタンでは普通らしい。このカップルの彼はパシュトゥーン人だったが、パシュトゥーン人は特に厳しいと言っていた。
家事全般を女性が担当すると言うのは、なんとなく昔の日本もおんなじだが、女性はよく働いて、料理がうまくて、気立てがいいのがいいと言う、ほんとに日本とおんなじようなことを言っているからおかしい。一般的に女性は結婚すると男性側の家に入って暮らすことになる。核家族と言うものはなくて、大家族みんなが一緒に暮らせるというのがアフガニスタンの人々にとってすごく大切なことなのだ。通訳のレイリーが、パキスタンにいた時のことを話してくれた。
「パキスタンでは、私達はすごく良い暮らしをしていたし、私も英語の先生で結構良いお金ももらっていたの。でも家族みんな心から幸せじゃなかったの。みんながアフガニスタンのことを思っていたし、アフガニスタンに残っている親戚のことを思っていた。タリバンが崩壊して、父がアフガンに帰ると決めたときは、みんな反対しなかった。家族親戚が一緒に暮らせないと言うのは、アフガニスタン人にとってこの上ない不幸なのよ。仕事はなかなかなくて、弟はまだ失業中だけど、私が働いてなんとかなっているわ。私達はやっと完全な形で暮らすことができるようになったのよ。」
こんな話からも、アフガニスタンの人々の家族に対する考え方がよくわかる。日本人の私からみると、アフガニスタンの家族の関係はあまりに密で窮屈だけど、アフガニスタンの人にとっては家族はかけがえのない存在なんだ。そうそう、イスラムの休日は金曜日なんだけど、その日はみんな家にゲストを迎えたり、自分達が親戚を尋ねていったりと忙しい。
「金曜日が唯一友達と会えたり、親戚に会える日なのよ。」ってレイリーは言うけど、私だったら毎週会わなくても良いかな。その辺が感覚の違い。思うに、長く内戦の続いてきたこの国では、いつ誰が亡くなるかわからない状況だったのではないか。だから、次に会える事はないかもしれないという思いもあったんじゃないか。とにかく週末と言えば家にいてゲストをもてなすって言うのが当たり前で、土曜日に
「週末はどうだった?」って聞いても大体「たくさん親戚が来て忙しかったよ。」と言う答えが返ってくる。女性はゲストをもてなすために食事の準備をしたり、お話に参加したり忙しいのだ。このときに未婚の女性で、働き者で料理上手な人がいたりすると、それをみたゲストが自分の親戚を紹介したりして、縁談になることも多いようだ。そうでもしなきゃ、確かにうちで家事を手伝っている女性だったら人に会う機会もないだろう。
私達の通訳のひとりシャイマのうちに招待されたときは、たくさんの美人さんに囲まれてびっくりした。シャイマの兄弟、いとこ、姪っ子さんと言われる人達がみんな私たちのいる部屋にやってきて話に参加するのだ。子供もなんとなくその場に居合わせる感じで、自然に大人の話を聞いている。若い子でも話の腰を折らないようにちゃんと話しに参加してくる。とても社交性があって、自分の10代のころと比べてしっかりしているんで驚いた。日本では大人の話に子供は口出さない、っていうか同席することはあまりないので、子供は子供っぽいままになってしまうけど、ここではみんながごちゃっと一緒にいて、子供達も大人のおかれている環境や、社会情勢について自然に感じ取っている。金曜日はさしずめ社会性を磨く日でもあるわけだ。
クリニックにくる人達と、オフィスで働くスタッフの生活には大きな違いがある。オフィスで働いている人達は、英語を話し、コンピューターを使い、きれいに化粧して、結構良い服装をしている。女性でも教育を受けており、いわゆるエリートである。外国のNGOのオフィスで働いて、生活に十分な給料をもらっている。だが、私達が働いている地域の女性は、貧しい家にすみ、教育も受けていないから字も読めず、特に技術も資格もなく家事をするのみだ。
こういう生活の格差は本当に大きい。女性は子供の世話もするから、子供が病気になればクリニックに連れてくる、夫の調子が悪ければ夫を連れて病院にくる。だが、だれも女性の体調を気遣う人がいない。妊娠中でも重たい荷物を持たないようになんて気を使ってくれる人はいない。栄養のあるものを食べないとだめといわれても、十分な量がなければ夫と子供に与えるのみで、自身はパンとお茶だけと言うことがざらにあるのである。そう言うことに関して、夫は関心を持っていないから、妻が家事のために体を酷使していても、妊娠中でも気にもとめない人がいるのである。
ここで女性の権利についてとやかく言い出してしまうと、私達の仕事の趣旨からずれてくるけど、個人的には女性の置かれている状況について、改善していく必要があると感じた。すべては、厳しい生活環境によるものだ。男性も仕事がなく、毎日日雇いの仕事で家族を支えている。戦争で障害を負ってしまい働きたくても働けない人もいる。毎日の疲弊した生活の中で、女性、子供に関心を払う余裕がないということなのだ。なにも教育のみに基づく問題ではない。社会全体の問題なのだ。女性の権利のために働いているNGOもある。だけど、権利だけを声高に叫んでも事態が改善するとは到底思えないのである。私達も、日々もくもくと診察をしながら、アフガニスタンの全体の状態が徐々に改善していくのを手助けするのみである。不安定な社会情勢のなかで、常に弱者の立場に置かれてしまう女性と子供に焦点をあてて、活動していくということなのだ。
第3章|(1)〜(8)|(9)〜(16)|(17)〜(24)|
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