長崎大学熱帯医学研究所熱帯感染症研究センター |
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Dr. Basuraの「初めてのアジア、ベトナム」Dr.Basura |
2000年7月21日 |
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事実上、初めてアジアを訪問した。事実上というのは、これまでの旅行はどんなに長くても4日間までの学会だったり、トランジットでしかなかったからだ。 ここに示しているのは、僕の日記の一部。個人的なことを除けば(それでもちゃっかり遊びのことは書いた)、ほとんどそのまま載せた。 5月15日(月)
上空から見るハノイ周辺は一面の田んぼと畑、緑の絨毯で豊か。アフリカの赤土むき出しの大地とはえらい違い。家々がこんもりとした樹木の中に隣り合って一つの集落を形作っている。一軒だけまたは数軒で離れて存在するものは全く見えない。社会主義国ならではの村落のあり方か?それとも伝統的な田園風景なのか?(写真1) 現地時間午後4時頃到着。かつてのモンバサ空港並の貧弱な建物。しかしその横には新空港ターミナルと思われる巨大な建物が建設中。 ビザはビジネス。しかし入国審査の書類の目的欄には観光としておいた。一人一人に時間はかかるが、特に問題なし。通関もきわめてシンプル。申告無しの出口は左?荷物を機械に通すだけ。開けられることはなさそう。少なくとも、僕らは開けられなかった。 NIHEからのランドクルーザーが高木のボードを掲げて出迎え。運転手はサングラスのいかつい男、しかも言葉も通じないので不愛想に感じる。町なかに入るとちょうど帰宅ラッシュ。溢れるバイクを蹴散らすように相当なスピードで走る。 ホテルはSunway Hotel。一泊朝食込みで50ドル+10%タックス+5%サービス。 超高級ホテルの印象。アフリカの高級ホテルとの違いは部屋の隅々まで行き届いた造りの細やかさ。直角であるべきところは直角に、水平であるべきところは水平に出来上がっている。アフリカではこれほどの技能の蓄積、デリカシーを見ることはない。(写真2) 持参した蚊取り線香、殺虫剤、忌避剤、携帯ラジオなどはすべて無駄。そもそもNHKTVが一日中受信できる。スリッパはあるはバスローブはあるはドライヤーまで備えてある。歯ブラシその他すべて完備。湯沸かし器、紅茶などもあり。果物一式サービス。 夕食、BONG(Oの上に~)。ホテルを左に出てさらに角を左に曲がると50m。うまい。特にdeep fried pork。ウェイターの男の子の気の利くこと!これがアジアなんだな。3人でちょうど20万ドン、1,500円程度。(写真3) 5月16日(火)
9時、2階左奥の会議室。お茶や果物が机上におかれてミーティングスタート。(写真7、写真8) 高木先生が、各サブジェクト別の予算、日程等を説明。研究費は日本人のためなので日本人が滞在中にのみ使えること、領収書の必要性、日当の払い方(直接か、ベトナム側のボス経由か)などなど。11月16−17日のカンファランスへの出席を要請。 フィールドへ出た際の日当の相場を聞いたが、5ドル?ん?10、ん?15かな、というところ。Prof. Longは検討して来週月曜日にはお答えするという模範的回答。 午前は11時半に終了、午後の仕事は2時から始まる。 昼食へのご招待。leaf flowerという野菜、棚に下がるような形でどの家にもあるという。香菜のひとつだろうが変わった味で僕の好み。何しろ食べ物はうまい、の一言。煮魚や漬け物があるところなど和食とあまり変わらない。人の名前はファーストネームで呼び合う。同姓が多いからとのこと。所長のProf.
LongのLongももちろんファーストネーム。 午後は昆虫部門のDr. Namと若いcommunity workerの女性(バックグラウンドはepidemiologistという)。egyptiとミジンコの興味深い話で終始する。 statisticsは研究者3名とテクニシャン2名の計5名で行っている。GISはやりたいことのひとつだがまだやっていないと断りながらmapinfoで作ったpolioのdistrict別の分布の年次推移を見せてくれる。特定の重要疾患は個人のidentification付きでepiinfoで、その他は症例数だけをExcelで管理している。(写真9) NIHEは、National Institute of Hygiene and Epidemiologyだが、基本的には微生物学研究所と考えて良い。細菌とウイルス、これに限られている、と理解して間違いはない。実際、疫学部門の衛生統計で扱われている疾患数は24、すべて細菌とウイルス。 夕食はハノイホテルの五十嵐先生と高田さん(日本国際医療団)と中華。タクシーで15分、4万ドン強。タクシーのきれいなこと、メーター付き、行き帰りの料金にほとんど差のないことに驚く。ハノイホテルは一泊75ドル。 日本国際医療団は外務省の外郭団体。巡回診療や国際会議、SEAMO?の疾病情報ネットワークで活動しているという。情報に関して資料を送ってもらうことを約束。 本日の面会Professor Hoang Thuy Long(写真8の右から二人目)DirectorNational Institute of Hygiene and Epidemiology Ms. Nguyen Lan Huong(写真8の左側)Director's Secretary Dr. Do Si Hien(写真8の右側)National EPI Dr. Ho Minh Ly(写真8の左から二人目)Head of Mycobacterial LaboratoryDepartment of Bacteriology and Immunology Dr. Vu Sinh Nam(写真10の右側)Head of Entomology Laboratory Dr. Nguyen Thu Yen(写真9の左側)EPI Programme officerDepartment of Epidemiology
5月17日(水) 午前中、NIHE。高木先生たちはデングの研究者と。(写真10) 僕はまず、下痢症をやっている人(名刺なし、ノートに名前を書いてもらう)と。 二つのラボがあって一方のProf. は米国に行っていて留守。そのサブジェクトはHericobactor pyriliやクリプトスポリジウム。イソスポーラなどもやっている。案内してくれた彼女はもっぱら下痢関係の細菌。国内のreference centerとして機能しているようだ。フエの辺りであった洪水のときなど、ラボからひとり、疫学部門からひとり、衛生省からひとりの3人のチームで駆けつけたとのこと。玄関から見て2階右奥のラボを見せてもらう。拠点大学に対し非常に期待している感じを受けた。
ARIの女性は英語が苦手らしく、若い男性を連れてきた。流暢に英語を話す男性はこのラボがARIとtuberculosisに分かれていること。韓国にあるIVI(International
Vaccine Institute)との共同研究で小児病院のデータを集めていること、研究費が少ないので海外との共同研究無しではやっていけないことなどを話してくれた。海外経験はオランダ、フランス、ドイツなど豊富だが米国はなし。 Dr. Dang Ducanh(写真12の左)HeadDepartment of Bacteriology 郊外への特に山岳地帯へのトリップは2週間前に手続きを始めないと不可能、と秘書のサジェスチョン。(すべての細々したことはこの有能な秘書が解決してくれる。) 雨でホテルの近く特に右側は水浸し。隣の屋台もうまそうだった(揚げ豆腐が特に)が、今回のように一週間しかない旅行では冒険は禁物。再び初日の夜使ったしゃれたレストラン。今日は鳩、淡水魚など。
Center for population studies and informationThe National Committe for Population and Family Planning12 Ngo Tat To str.Hanoi Mr. Vo Auh DungDeputy Director 研究所内にはLANはない。それぞれの電話を勝手に使ってPost Officeでメールアドレスを取得し、Post Office経由でインターネットと接続している。いろいろなプロバイダーがあるらしい。それは彼らのメールアドレスにいろいろあることからもわかる。この国で携帯電話を持つことは簡単で高くはない。プリペイド方式らしい。やったことはないが、携帯経由ならメールももっと楽であろうという。 雨は上がって公園をぶらぶらしながら帰る。ケニアやタンザニアと違ってあれほど屋台が多いのに道端にはゴミがない。パスツールの像を発見。写真を撮る(写真13)。歩いているとバイクに何度も声をかけられる。一般市民がタクシー代わりに使っているとは気がつかなかった。 3時過ぎにはホテルに帰ったので昼寝を小一時間。 夕食、Dr. Namと若いcommunity workerの女性の招待で近くの食堂。隣はテニスコート。今日もおいしい。セロリとちいさなナスの漬け物がうまい。帰りに街頭の掃除をしている人に会う。周りは落ち葉ひとつなくなっており、ゴミのない理由がわかった。
5月18日(木)デングのトレーニングに同伴してフィールドトリップ。7時20分出発。 強い風と小雨の中を研修生とともにFord Transitで村へ。村の名前はNgihia Hiep(ンギヒア・ヒアップ)。彼らは村をコミューンと呼ぶ。 ハイフォンへの国道を30分。地図で言えば東にある橋を渡って一直線。レンタカーのFordは0.5$/kmというが、本当?そんなに安いの?
集会所でセレモニー的な会議の後、4グループに分かれて数軒を訪問する。人口は1040数人。戸数約百数十と思われる。一面の水田の中、所々に養殖のための池、お墓がある。村道は煉瓦敷きかセメントで舗装されている。豚、あひる、にわとり。家々もコンクリートまたは煉瓦造りで屋根は瓦葺き。(写真14、15、16、17、18) 井戸もあるが天水も使用、タンクがある。 車の中で津田先生に折り紙をねだった女性はサイゴンからの医者。年増に見えるが独身。苦笑しながら同年の男は皆戦争で死んだという。あながち冗談ではないのがつらい。ちょうど我々の世代。人口統計を一度調べてみよう。 Dr. Nguyen My Le(ラーイ)Medical UniversityPublic 昼食は集会室でご馳走(写真19)。ベトナムでは決して食べ物に苦労しない。和食に似て低脂肪、あっさり系。 1時には村を出発。雨はやむも風強し。1時半研究所到着。 秘書によれば、土日のエクスカーションはひとり26ドル、土曜日朝7時迎え。 図書館はミーティングに使われていて見学できず。明日のCenter for population studies and informationのアレンジを頼んでホテルへ帰る。
ハノイ大学の寄生虫への話は五十嵐先生に振られた。待ちぼうけ代わりにロビーでAedesの不思議について高木先生の講義を受ける。その数(少ない)、その行動、調査法の困難性。(写真20、Aedesが発生しそうな典型的な集合家屋) 航空券のリコンファーム済み。 夕食、昨日のレストランの前、ロートレック(風?)の絵が飾ってあるフランス風レストラン。焼きめし12,000ドン(100円弱)、安い。バックに流れる曲はRunawayやダイアナ。ヴェトナム戦争時にはサイゴンで盛んに流れていたであろう。
ホーチミン誕生日。 NIHEは何かで表彰されるため(ホーチミン誕生日とは無関係)一日中式典。 当然だが、Center for population studies and informationは無理だった。 11時頃から亀池(高木先生命名)まで歩いてみる。道を間違えたので約30分。池の周りはつきまとう物売りもいれば、子供連れの乞食、ぽん引きもいる。「いい女がいまっせ」 2時半、Ms. Huong車で迎え。地理学研究所へ。NCSTの敷地内。 Dr. Prof. Nguyen Van CuVice DirectorInstitute of Water Resources and EnvironmentInstitute of Geography Assistant Prof. Dr. Ngo Ngoc CatVice DirectorInstitute of Water Resources and EnvironmentInstitute of Geography Ms. Tran Minh Y(写真なし)HeadDepartment of Remote Sensing Technology anf GISInstitute of Geography 写真があるのは千葉の論博中の女性。 Medical Geographyという部門がある。MilitaryのDepartment of Hygiene and Epidemiologyと仕事をしているとのこと。 印象は、設備もあり、それなりのデータはあるが、使いこなしていない。すなわちR/Sのデータを他のデータとリンクして使っているとは思えない。 しかし、topographyのデータなどはUTSの地図上にGCPが5000カ所以上も書き込んであり、それぞれの地点の写真まで出て来るという傑作。これは使える。 データはNASDAやフランスの物を購入。 ソフト。 GIS用 Mapinfo ArcInfo AutoCad Spans R/S用 PCI WinASEAN(写真の女性のボスが作ったという) 感染症流行データやCenter for population studies and informationのデータなどとうまくかみ合わせることができれば面白いデータになると思われる。 明日はHa Long Bayへのツアー。
5月20日(土)Ha Long Bayへの観光ツアー。 突然の電話でバスが7時15分前に来たことを知る。後でわかったことだが、ホーチミン誕生日に絡んで今日土曜日は特別にすべてのバスは午前7時までに市内から出なくてはいけないことになっていたようだ。運転手は時計を指しながら不機嫌な顔。約束は7時から7時半の間。 Hanoi Toserco Open Tour。 ツアーは国際的。米国、フランス、ラオス、中国・・・。 ハーロンベイへの途中、刺繍工場へ寄る。刺繍は世界的にも有名なのだがどうもピンとこない。 ホテルは窓もない安宿。パスポートの預かりを言われる。拒否。一応清潔。お湯も出た。昼寝をしてしまった。 夕食は、昼食を共にした中国人の若者と中国系ベトナム人のカップルと。彼女は79年のベトナムー中国戦争時11才と言うから今33才。なかなか気の強そうな女性で姉さんぶった態度で若者に接する。ホーチミンでビジネスの同僚と言うが、勝手な想像をすれば彼女が身を売りながら彼に飯を食わせているのではないか。(考え過ぎか!?)僕の仕事も聞かない代わりに彼らからも何も説明はなかった。40万ドンの夕食をポンとおごってくれた。中国系はベトナムでは1%に満たない。戦争時はつらい時を送ったようだ。話したくない、思い出したくないと言う。毎年のようにここには来ている。オーストラリアまで海外には行ったことがある。 5月21日(日)朝から雨の音。ロビーでお茶をいただいてから濡れながら食事のホテルへ。 7時。船でSurprising Caveへ。船中で乗組員は行きはばくち、帰りは酒盛り。タバコを勧めて仲良くなる。 鍾乳洞はすでに乾ききっていて今後朽ちて行くばかりと思われる。キンデンのチョン君が声をかけてくる。いろいろ教えてもらった。 北では、ロシア語、中国語、南は何と行っても英語、そしてフランス語、日本語。最近北では日本語ブームらしい。 帰りに寄った海水浴場。水はひどく汚れている。トイレはあるが砂浜のすぐそばにウンコを垂れ流し。とても泳ぐ気になれない。物売りの小舟が近づく。船員はあの強い焼酎でやいたするめ、ゆがいたピーナッツを買う。僕も茹でピーナッツを一袋。 入手した情報 ベトナムの物価
キンデン(近畿電気)に勤めるChuong(チョン)君の給与は200$でこれは非常によい給与。 ハノイ、亀池の側でバスから解放される。徒歩でホテルへ。少し道を間違える。 夕食はいつものところ。今日は鍋物。これもおいしかった。
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