S5 シンポジウム5: 文化人類学は医療協力の役に立つのか? −医療従事者と人類学者の対話にむけて−(国立民族学博物館との共同シンポジウム)

日時:2006年10月13日(金) 10:20-15:00 (休憩 12:00-13:00 )
場所:第1会場(大ホール)
座長:關雄二(国立民族学博物館),尾崎敬子(結核研究所)
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文化人類学は医療協力の役に立つのか? ― 医療従事者と人類学者の対話に向けて ―
Is Cultural Anthropology Useful to Health/Medical Cooperation?: Towards Starting Dialogues between Medical/Health Experts and Cultural Anthropologists
岸上 伸啓1、 關 雄二1、 尾崎 敬子2
1国立民族学博物館    2結核研究所   
文化人類学者は、現地において長期にわたるフィールドワークを実施し、研究対象社会の文化について研究する。かれらは、現地の人々の考え方や活動を歴史的、政治経済的、社会文化的な脈絡において全体論的な視点から理解し、記述しようと試みる。このようにしながら現地社会に関する知識を蓄積するとともに、現地社会とのあいだで密接な社会関係を構築してきた。
国立民族学博物館では、2004年度より機関研究のひとつとして、文化人類学者によるフィールドワークとその成果、文化人類学的な知見や視点などが、国内外の社会、経済、医療、教育、人口、資源などにかかわる諸問題の解決を図るうえでどのように活用できるかを検討してきた。そのテーマのひとつが、国際開発協力や国際医療協力の問題であった。
自然科学の立場をとる医療従事者は、病気や出産を客観的な生理/生物学的な現象ととらえ、普遍的な手段や方法による解決を図る。一方、文化人類学者は、病気や出産を社会/文化的な脈絡の中で、宗教観や価値観、ものの見方、慣習などと関連付けながら把握し、理解しようとする。このように異なる立場に立つ両者のあいだには、病気とはいかなるものかという認識や病気の予防/医療活動のあり方に関しても、見解の相違が出てくる。このため両者のあいだでは、医療援助のあり方に関する対話すら成立しないことが多かった。
今回のシンポジウムの目的は、より妥当で効率的な予防/医療活動を行うためには、各地域の社会や文化の理解、さらには文化人類学的な知見の活用が必要であることを、事例に基づいて主張することである。わたしたちは、世界各地における予防/医療活動では文化人類学者と医療従事者との協力が不可欠であると考えている。このことを、医療従事者の方々に問いかけ、より妥当な医療協力を実現するために対話を始めたい。
S5-2
ハイリスク妊娠・出産と人々の「異常」概念 −モロッコ農村部における母子保健政策と住民の葛藤−
High-risk Pregnancy/Childbirth and Villagers' Concepts of "Abnormal": Conflicts between Maternal Health Policy and Local Practices in Rural Morocco
井家 晴子1
1東京大学大学院文化人類学研究室博士課程   
妊娠/出産は、人類共通の生理的な現象でありながら、文化的に多様な側面を持つ。しかし、自然現象ゆえそのプロセスは不確実でしばしば危険が伴う。そのため、近代医療においては専門家によって「ハイリスク妊娠/出産」という、事故を予防する概念が作られてきた。そして、妊産婦は専門家によって症状のリスク判断、対処がなされ、近代医療の管理の下に組み込まれていった。
一方で、途上国における医療援助活動においても、高い妊産婦死亡率を下げるべく、ハイリスク妊娠/出産の症状に該当する妊産婦を焦点とした医療プログラムが作られてきた。本発表の事例となるモロッコ王国においても、これまで行政側が、ハイリスクの症状にあてはまる妊産婦に対して、医療的措置を受けるよう、医療施設で出産するよう呼びかけてきた。こういった行政の指導は、死亡率のより高い農村部において熱心に行われている。行政側は、住民たちに対して視聴覚教育を行ったり、伝統的助産婦をトレーニングして産前検診の必要性を説き、ハイリスク妊娠/出産の症状を住民たちに理解させようとしてきた。
しかし、発表者が農村部でこれまで行ってきた調査において、住民たちは、行政から指導されたハイリスクの症状を必ずしもその後の事故に結び付けて考えていないことが分かってきた。また、ハイリスクに当てはまる症状であっても、必ずしも近代医療の施設には頼らず、経験的知識によって対処方法を決めている。
本発表では、このようなすれ違いがおきる背景を明らかにするために、ハイリスク妊娠/出産の症状とは独立して存在する住民たちの「困難」「異常」といった概念と、二つの概念の間でおこる葛藤とそれが対処方法の決定に与える影響に注目し、母子保健政策における文化人類学的視点の有効性を考察したい。
S5-3
ウガンダにおける病因論と下痢症削減対策への示唆
Ethnomedical etiology of diarrhea in Uganda and its implications for diarrhea reduction interventions
杉田 映理1
1国際協力機構   
下痢症による死亡者数は、世界で年間180万人とも、200万人とも言われる。治療面では、経口補水療法(ORT)の普及が推進され、予防面では、安全な飲料水の供給が拡大されたのに伴い、下痢症による死亡は減少している。しかし、今日でもなお、下痢症は発展途上国における5歳未満児の主要死亡要因のひとつとなっている。
下痢症は、世界各地で古くから感染率が高く、また日常的に罹る病であったため、その分類や病因論は、それぞれの土地特有の解釈(民俗病因論)が根付いている。1980年代以降、WHOやUNICEFが中心となりORTの利用を推進した際、文化人類学者の間でも下痢症の民俗病因論や伝統療法に関する研究が進められ、その結果が活用された。
本発表では、ウガンダ東部を事例として取り上げ、地域の人々が下痢症を他の病との関係でどのように位置づけており、また、下痢症の原因をどのように捉えているかを見る。また、世界の他の地域における下痢症の病因論と比較して、ウガンダ東部の特徴を示したい。さらに、下痢症削減対策として近年推進されている衛生教育や衛生行動の改善に、民俗病因論がどのような意味合いを持つのか、考察を行うこととする。
S5-4
国際医療協力、人類学、対象地域のはざまで −インドネシア・スラウェシ地域医療開発プロジェクトの事例より−
International Cooperation for Health, Anthropology, and Research Field: A Case Study of the Project for Improvement of District Health Service in Sulawesi, Indonesia
大橋 亜由美1
1放送大学   
本発表は、2000年にインドネシアのスラウェシ島における地域保健強化プロジェクトに医療人類学にかかわる技術指導の専門家として発表者が短期間参加した事例を通して、国際医療協力プロジェクトの中で人類学者が果たした役割の一例を提示する。そして、発表者が直面した幾つかの問題点を指摘し、その内省を通して人類学者が医療協力・医療援助の場において果たすことのできる役割と可能性を模索する。
スラウェシ島はこれまで長期開発計画によるPHCサービスの拡充および積極的な人口・家族計画の導入が行われてきたにもかかわらず、ジャワ島などに比べ乳児・妊産婦死亡率が依然として悪い状況であった。本プロジェクトは、スラウェシ島における地域助産婦や医師・検査技師等医療技術者の人材育成、県の衛生部長への保健計画の策定・実施に関する能力の養成等を主たる目的として進められていた。発表者はそれまでの当該プロジェクトの進捗状況および前任の長期派遣専門家の要請を鑑み、(1)助産婦、(2)保健所、(3)民間の治療者と人びとの保健医療行動について主に着目し調査をおこなった結果を報告する。
その活動期間中、発表者が直面した問題は実施されるプロジェクトの内容自体ではなく、むしろ発表者の開発援助プロジェクトに対する経験不足とその未熟な専門家を取り巻く環境にあったと考えられる。これらの問題群を検討し、単に個別の事例としてではなく、国際医療協力において人類学者が「できること」について考察するための手がかりとする。
S5-5
医療協力における文化人類学の二つの役割?
The Two Roles of Cultural Anthropology in International Health Cooperation?
白川 千尋1
1国立民族学博物館先端人類科学研究部   
1980年代以降、国際協力・開発援助の場に文化人類学(者)の関与する機会が増してきているという。その主な要因としては、経済開発から社会開発へと国際協力・開発援助の潮流が大きく転換したことが挙げられる。社会開発のもとでは、対象地域の人々のニーズ(とりわけ社会的・文化的ニーズ)を十分に踏まえ、なおかつ彼ら彼女らが主体的に参画し得るプロジェクトが目標とされるようになった。その結果、人々とその社会や文化(行動様式、生活様式、価値観などを含む)を研究対象としてきた文化人類学の必要とされる余地が増大したわけである。文化人類学の下位分野として、国際協力・開発援助とそれに関連する現象・事象を扱う開発人類学(development anthropology)が新たに形成されるに至ったのも、こうした動向と無縁ではない。
一方、医療協力・医療援助の場においても、1970年代後半にプライマリー・ヘルス・ケア(PHC)の概念が登場して以降、文化人類学をはじめとする社会科学の関与する機会が増してきているとされる。社会開発の場合と同じように、PHCを唱道するプロジェクトのもとでも住民ニーズ指向型・住民参加型のアプローチが盛んに模索されるようになっていることが、その背景にはある。こうしたなか、医療協力・医療援助の場において文化人類学(者)にはどのような役割が求められているのだろうか。プロジェクトの成果をより良いものにしてゆくために必要な、対象地域の人々の社会や文化に関する知見を提供するということは、おそらくその最たる役割の一つであろう。しかし、文化人類学の果たし得る役割はそれだけなのだろうか。本発表では、この点について、文化人類学を構成する要素、いわばエッセンスの一つと位置づけ得る文化相対主義的視点などとの関連をめぐって考察を行う。
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文化人類学は医療協力の役に立つのか?:国際開発学の視点から
Is cultural anthropology useful to health/medical cooperation?: From the viewpoint of Internaitional development
佐藤 寛1
1アジア経済研究所   
医療協力の分野で一昔前まで「対話」が求めてられていたのは「医者」と「パラメディカル」との間であった。 しかし、今や単機能・単疾病に特化する施設中心型の医療協力が激減し、「地域保健」「PHC」が幅をきかせるようになっている。医者とパラメディカルの間には、明確な権力関係があるために、プロジェクトの効率的な実施を妨げるという古典的な弊害がある。しかしどちらも「(西洋近代)医療」という文化を共有しているという点では、対話は容易である。ところが「医療専門家と人類学者間との対話」となれば、もはや両者には共通の言語が成り立つかどうかさえ危うい。そもそも医療行為の中心的な課題である「病」「生死」についての考え方が根本的に異なる可能性があるのだ。それゆえこれまで、医療従事者はそのような不安定な対話に労力を費やすより、治療する患者の数や研修実施回数を増やす努力に専念してきた。だが、今や国際医療協力に求められているのは、単なる数量的な実績ではなく、多少センスの良い医療従事者なら、プロジェクト実施にあたって社会や文化を読みこなすことの重要性に気づいている。「文化人類学は医療協力の役に立つのか?:医療従事者と人類学者の対話にむけて」というタイトルは、医療従事者から見れば「如何に人類学者を活用するか」という課題に読めるだろう。しかし人類学者には「使って頂こう」などという殊勝なインセンティブはほとんど無い。むしろ、人類学者の興味はどのように自分たちの知見を医療協力の場に『活かせるか』にあるのだ。だから、プロジェクトで医療専門家が人類学者を『役に立つ魔法の杖』だと思って使っても、なかなか成功しない。パネルディスカッションでこのすれ違いの構造の輪郭を浮き彫りにできればと考えている。
(オーガナイザー:岸上伸啓,關雄二,尾崎敬子)