アフガニスタンボランティア −国境なき医師団助産師の6ヶ月−
波多野 環
<終わりに>
私がアフガニスタンを発った日、実は大変なことがおきていた。ヘラート近郊で活動しているMSFオランダの車が、待ち伏せをされて襲撃をうけ、5人が殺害されたのである。パリについたその足でコンピュータールームにいき、メールを開いたら一番にそのニュースが飛び込んできたのだった。MSFが攻撃を受けるなんて。軍隊、政府には一切関わりを持たず、独立、中立、公平の立場で活動してきた団体である。この事件を受け、MSFはすべての外国人スタッフを撤退させ、アフガニスタン国内のプロジェクトの中止、延期を余儀なくされた。(最終的にはアフガンからの全面撤退を決定した。)心が痛むのは、職を失ったMSFのナショナルスタッフと、MSFに医療援助を頼っていた貧しい人々のことである。行っていた援助を、突然止めてしまうと言うのは、本当に良いやり方なのか?この決定をするまでに、MSFのほかのセクションも、かなり話し合いをしたようだが、クリニックを攻撃されたら住民も巻き添えになるということを考えると、撤退もやむなしということなのか。
私は日本に帰ってきたので、日本の仲間がアフガニスタンにまだ残留している時は「早く帰ってきて。」と思っていた。それは彼らを送り出していた家族も同じ思いだったろう。MSFは危険地帯に向かっていくといわれるが、今回の事件は他のNGOにも大きなショックを与えていた。一夜にして積み重ねていたものが破壊されると言う最悪の状況になった。ひとつの事件によって、MSFに頼ってきていた人達は支えを失ってしまった。戦いは何も生まないし、誰も幸せにならない。どうして、こうやって攻撃を受けて人が死なないといけないのか、私にはわからない。戦争は無意味だ。どんな大儀名文があっても、無意味だ。だれも幸せにならない。
人間の命はけして平等ではないと、活動に参加してしみじみ思った。ただ、それは自分の持っている世界と比較した場合のことだが。先進国では助かる人が、紛争地では助からない。でも、本当は人間の命は平等なんだと思いたい。ただ、平等にできない状況を人が作り出している。多くの人々は人災の被害者になっているのだ。政治的なやりとりに振り回されて、人間としての尊厳さえもない状況に追いやられている。
今こうしている間にも、世界中で紛争は起きていて、それをとめることができない。悲しい現実である。私はそういうところに、また行くんだろうなと思っている。何かが急に良くなるなんてありえないけれど、ただ、そこにいて、自分がすべきことをする。そう言う単純なことを、繰り返して行くことが大切なんだろう。きっと、戦争のない世の中なんて存在しないだろう。戦争を回避できない無能な政治家は多いし、人は戦争と言う手段を知ってしまっているからだ。でも、いつか戦争のない世の中になるかも知れないという期待を抱きながら淡々とそこに居る事に意義を見出していきたいと思っている。
今回この文章をインターネットにのせることを進めてくださり、文章構成など多大な協力を下さった長崎大学熱帯医学研究所の中澤秀介先生にとても感謝しています。ありがとうございました。
2004年8月 波多野 環
トップページへ
|
|