午前中、NIHE。高木先生たちはデングの研究者と。(写真10) 僕はまず、下痢症をやっている人(名刺なし、ノートに名前を書いてもらう)と。 二つのラボがあって一方のProf. は米国に行っていて留守。そのサブジェクトはHericobactor pyriliやクリプトスポリジウム。イソスポーラなどもやっている。案内してくれた彼女はもっぱら下痢関係の細菌。国内のreference centerとして機能しているようだ。フエの辺りであった洪水のときなど、ラボからひとり、疫学部門からひとり、衛生省からひとりの3人のチームで駆けつけたとのこと。玄関から見て2階右奥のラボを見せてもらう。拠点大学に対し非常に期待している感じを受けた。
Mr. Vo Auh DungDeputy Directorphone (844)8237699/8237698fax (844)7331246 研究所内にはLANはない。それぞれの電話を勝手に使ってPost Officeでメールアドレスを取得し、Post Office経由でインターネットと接続している。いろいろなプロバイダーがあるらしい。それは彼らのメールアドレスにいろいろあることからもわかる。この国で携帯電話を持つことは簡単で高くはない。プリペイド方式らしい。やったことはないが、携帯経由ならメールももっと楽であろうという。 雨は上がって公園をぶらぶらしながら帰る。ケニアやタンザニアと違ってあれほど屋台が多いのに道端にはゴミがない。パスツールの像を発見。写真を撮る(写真13)。歩いているとバイクに何度も声をかけられる。一般市民がタクシー代わりに使っているとは気がつかなかった。 3時過ぎにはホテルに帰ったので昼寝を小一時間。 夕食、Dr. Namと若いcommunity workerの女性の招待で近くの食堂。隣はテニスコート。今日もおいしい。セロリとちいさなナスの漬け物がうまい。帰りに街頭の掃除をしている人に会う。周りは落ち葉ひとつなくなっており、ゴミのない理由がわかった。 6時起床。眠たい。 デングのトレーニングに同伴してフィールドトリップ。7時20分出発。 強い風と小雨の中を研修生とともにFord Transitで村へ。村の名前はNgihia Hiep(ンギヒア・ヒアップ)。彼らは村をコミューンと呼ぶ。 ハイフォンへの国道を30分。地図で言えば東にある橋を渡って一直線。レンタカーのFordは0.5$/kmというが、本当?そんなに安いの? 集会所でセレモニー的な会議の後、4グループに分かれて数軒を訪問する。人口は1040数人。戸数約百数十と思われる。一面の水田の中、所々に養殖のための池、お墓がある。村道は煉瓦敷きかセメントで舗装されている。豚、あひる、にわとり。家々もコンクリートまたは煉瓦造りで屋根は瓦葺き。(写真14、15、16、17、18) 井戸もあるが天水も使用、タンクがある。トイレは落としではなく砂か灰のような物を敷いた上にする。かつては豚便所もあったようだが、現在はない。確かに豚舎の隣に便所がある。 車の中で津田先生に折り紙をねだった女性はサイゴンからの医者。年増に見えるが独身。苦笑しながら同年の男は皆戦争で死んだという。あながち冗談ではないのがつらい。ちょうど我々の世代。人口統計を一度調べてみよう。 ホーチミン誕生日。 NIHEは何かで表彰されるため(ホーチミン誕生日とは無関係)一日中式典。 当然だが、Center for population studies and informationは無理だった。 11時頃から亀池(高木先生命名)まで歩いてみる。道を間違えたので約30分。池の周りはつきまとう物売りもいれば、子供連れの乞食、ぽん引きもいる。「いい女がいまっせ」 2時半、Ms. Huong車で迎え。地理学研究所へ。NCSTの敷地内。 Ha Long Bayへの観光ツアー。 突然の電話でバスが7時15分前に来たことを知る。後でわかったことだが、ホーチミン誕生日に絡んで今日土曜日は特別にすべてのバスは午前7時までに市内から出なくてはいけないことになっていたようだ。運転手は時計を指しながら不機嫌な顔。約束は7時から7時半の間。 Hanoi Toserco Open Tour。 ツアーは国際的。米国、フランス、ラオス、中国・・・。 ハーロンベイへの途中、刺繍工場へ寄る。刺繍は世界的にも有名なのだがどうもピンとこない。 ホテルは窓もない安宿。パスポートの預かりを言われる。拒否。一応清潔。お湯も出た。昼寝をしてしまった。 夕食は、昼食を共にした中国人の若者と中国系ベトナム人のカップルと。彼女は79年のベトナムー中国戦争時11才と言うから今33才。なかなか気の強そうな女性で姉さんぶった態度で若者に接する。ホーチミンでビジネスの同僚と言うが、勝手な想像をすれば彼女が身を売りながら彼に飯を食わせているのではないか。(考え過ぎか!?)僕の仕事も聞かない代わりに彼らからも何も説明はなかった。40万ドンの夕食をポンとおごってくれた。中国系はベトナムでは1%に満たない。戦争時はつらい時を送ったようだ。話したくない、思い出したくないと言う。毎年のようにここには来ている。オーストラリアまで海外には行ったことがある。 朝から雨の音。ロビーでお茶をいただいてから濡れながら食事のホテルへ。 7時。船でSurprising Caveへ。船中で乗組員は行きはばくち、帰りは酒盛り。タバコを勧めて仲良くなる。 鍾乳洞はすでに乾ききっていて今後朽ちて行くばかりと思われる。キンデンのチョン君が声をかけてくる。いろいろ教えてもらった。 北では、ロシア語、中国語、南は何と行っても英語、そしてフランス語、日本語。最近北では日本語ブームらしい。 帰りに寄った海水浴場。水はひどく汚れている。トイレはあるが砂浜のすぐそばにウンコを垂れ流し。とても泳ぐ気になれない。物売りの小舟が近づく。船員はあの強い焼酎でやいたするめ、ゆがいたピーナッツを買う。僕も茹でピーナッツを一袋。 入手した情報 ベトナムの物価 キンデン(近畿電気)に勤めるChuong(チョン)君の給与は200$でこれは非常によい給与。 ハノイ、亀池の側でバスから解放される。徒歩でホテルへ。少し道を間違える。 夕食はいつものところ。今日は鍋物。これもおいしかった。 午前、NIMPE(写真21)。町のはずれ。所長Dr. Congは30分以上遅れて現れる。 NIHE 1.National Institute of Hygiene and Epidemiology 研究所の紹介パンフレット 2.Research Works in 1995-1996 (National Institute of Hygiene and Epidemiology) これが年次報告の最新版 3.Analysis of communicable disease data in Vietnam 1991-1995 細菌、ウイルス疾患24疾患のトレンドを示す図表 4.Health Statistical Profile 1997 人口その他基本的データを示す小冊子 5.Minimum Health Data Set (1993-1996) 上記の旧年度版 6.3の作成する上で基本とするオリジナルデータ(数字のみ)ベトナム語 1998年度版 7.3を作成する上で基本とするオリジナルデータ(数字のみ)ベトナム語 1999年度版 6、7どちらも疾患名は解読可能(僕が訳した)。ということは解読可能。 1.Country Experiences in Malaria Control Based on the Global Malaria Control Strategy Le Dinh Cong, 年度は不明(恐らく1997) 2.Present Helminthiasis Situation in Vietnam, Orientation and Plan for Helminthiasis Control from 1998-2000 and to 2005 Le Dinh Cong, 年度は不明(恐らく1997) 3.Prevalence of Soil-transmitted Helminthiasis among Children aged 4-15 in Vietnam Nguyen Duy Toan, Dept. Parasitology, NIMPE (presented in the 13th APCO meeting, Tokyo, 1992) 4.The Efficacy of Selected Treatment in the Prevention and Control of Soil-transmitted Helminthiasis Hoang thi Kim, Nguen van De and Nguen van Tien, Bulletin of Scientific Researches (1991-1996) Part II 5.A Review of the Present Status of Lymphatic Filariasis in Vietnam Dan Wolf Meyrowitsch, Nguyen Duy Toan, Hoang Thi Hao, Nguyen The Dan and Edwin Michael, Acta Tropica 70, 335-347, 1998 1.ハノイ市内地図
5月18日(木)
5月19日(金)
5月20日(土)
5月21日(日)
5月22日(月)
この1週間で入手した資料(熱帯病資料情報センターに保管。いつでも閲覧自由)