熱研生物資源室よりトピックスをお届けします

シャガス病流行地のフィールドで実施する住民健診(1)
==== 抗体検査と,それに続く採血の手順 ====

(1)インフォームドコンセント:

住民健診とそれに続く住民由来のサンプル検査は,当事国の医療従事者がすべておこない,日本側のわたしたちは助言はしますが,主体的に動くことはありません.フィールド・ワークを実施する前に,当事国の医療関係者が現地に前もって赴き,住民に健診と検査の目的と内容を伝え,インフォームドコンセントを済ませてから,次回の訪問日程を示して,フィールド・ワークを実施します.検査では,採血がありますから,採取した血液は,シャガス病の検査だけに使用し,他の目的には使用せず検査後の血液はすべて廃棄する旨の説明をおこない,それへの合意もしくは同意を得て,住民側の拒否も可能であることを理解してもらうなどの実施前に済ませておかなければならないことを当事国の医療従事者は承知しています.
なお,ここで説明します住民健診とは,都市から臨床医が地方に出向いて,臨時の診療所を設けて総合診療的に住民の健康相談に応ずるのとは異なり,シャガス病に限定しての健診で,国や地方がおこなうシャガス病対策の一環として実施するもので, 現地で相談を受けたり,健診の対象者は老弱男女を問わず,乳児から高齢者までの広範囲です.

下は,住民健診に先立ち,集会場での医療関係者による住民への啓蒙活動や,健診の目的についての説明会の一例です.
 

(2)シャガス病の住民健診に携わる者や,T.cruzi原虫を取り扱う実験者の血清保存:

T.cruzi 原虫に感染した際,完全に治療できる薬剤が現在まだありませんので,検査のための採血時,それ以降の手技操作,実験室内でのミスがないように,また,この培養や実験に直接関係しない同室内の,他の実験者への配慮も必要です.この検査や実験に関与する場合,作業開始前に自分の血液を採取し,この血清を,negative controlとして必ず保存してください.万が一,不手際があった場合の対照として,大切な血清サンプルとなります.

(3)抗体検査:

住民を前にして,フィールドで実施可能なシャガス病診断検査は,まず抗体検査です.わたしたちが現場で使用する抗体検査キットに求めているのは,つぎの条件です.つまり,どのような抗体検査キットがフィールドに向いているかは,

一,指先からの数滴の血液で診断可能なもの.

一,どこでも誰でもが検査可能なもの(簡便).

一,すぐさま結果が得られるもの(迅速).

一,一テストあたり安価であること.

目の前の子どもからの採血で痛がっているのを見てしまった小児を除いて,指先からの数滴の採血を拒む住民はいません.この数滴の血液から,住民の待っている前で,判定をし終えるのは,こちら(住民健診を実施している側)の出す診断結果の信頼度を高める効果があります.指先をプリックして出血させた数滴の血液で診断できること.電気や特別な機器ならびに特殊な技術や技能を必要としないもの.住民の目前で,5分間ぐらいで結果が得られる必要があります.国内の医療機関では,その患者さんには,検査結果が出る1週後とかにもう一度来院してください,と言えますが,シャガス病流行地のフィールドで収集した検体サンプルを一旦ラボに持ち帰り,後日その結果を住民に知らせるのでは,そのときの住民がもう一度保健所とか集会所へ来てくれる,とは限らないからです.抗体陽性の場合は,住民にさらに精密検査が必要な旨をその場で告げて,さらに採血が可能かを尋ねます.抗体検査料は,住民に課しませんが,日本円で一検体あたり50円以下を目指しています.50円とは,採血に必要な指先を突くランセット,採血用のチップなどの消耗品代と検査試薬代です.現在,価格を除いては,三条件を満たす ICT Immuno-chromatography Technique)キットが実用商品化され,すでにフィールドや医療機関で使用されています.なお,抗体検査に必要な採血は,必ず指先のプリックによっておこない,決して耳介を使用しないことです.

 

(3-2)抗体価:

フィールドの検査では,抗体価の値がわからなくても構いません.フィールドで使用する抗体検査キットには, T. cruzi 原虫に対する抗体を多少なりとも有しておれば,血液原液もしくは血清原液そのもので検知でき,しかも,未感染者とは非特異的反応がおこらない,つまり,false positive が出ないなどの条件が要求されます.現在市販されているICT タイプの診断キットは,陽性がバンドで出現するように仕組まれていますが,バンドの出現が不明瞭であるために,判断に迷うケースもあります.そのときは弱い陽性とすればよいでしょう.したがって,現在商品化されているICT タイプの診断キットのうち,反応の感受性と特異性が高いのを選択すればよいでしょう.フィールドでは,T. cruzi 原虫に対する抗体の有無,つまり,陽性か陰性かが判定できればよいことになります.

一方,ラボでは抗体価が求められます.どのような感染症の抗体検査の場合でも,その検査を依頼した者(多くは医師)ならびに検査する者は,その抗体価が高いのか,低いのか,の定量的数値でもって知りたがるものです.これは,確かに,他者の値と比較したり,前回の検査値(抗体価の上昇もしくはその逆)との比較をしたりするためには必要な値で,同一ロットでなくても,抗体価の比較は一応の目安にはなります.血清を希釈するのは,まさしく,この抗体価を定量化(数値化)するためですが,それ以外に,血清濃度が高い領域(まったく希釈しないか,希釈倍数が低いところ)では,非特異的反応が出るため,つまり,特異性が低ければ,未感染者(negative control グループ)にも誤って陽性(false positive)にしてしまいます.よって,negative control グループの大部分に対して,陽性反応が出なくなるまで,血清を希釈して,その希釈倍数を基準点とするのが,cut-off value となります.ところが,今度は血清を希釈するために,抗体価の低いときは,感染者であるのに未感染者(false negative)にしてしまうことです.したがって,一般的な血清学的診断キットですと,血清を希釈するために,見逃しがどうしても出てしまう,というジレンマがあります.どの感染症の抗体検査でありましても,商品化されている診断キットですと,キット(ロット)ごとに,cut-off value 定められており,その近辺では,グレイゾーンがあって,陽性か陰性かを判定しにくいことがおこります.

 

(4)採血:

シャガス病流行地のフィールドでは,だれかれの区別なく,どの住民からも血液培養用の採血が可能な状況にあり,つまり,なぜ,だれかれからも採血が必要なのか,を住民に説得して理解してもらい,その協力が得られ,なおかつ,抗体の有無にかかわらず全員の血液の培養をしますので,ほとんどの血液培養が陰性になるのも承知の上で,それらの無駄な努力も厭わないのであれば,話は別ですが,一般論としては,だれかれからも採血はせずに,限定された住民から採血する場合,その根拠を示します.血液培養をするためにどの住民から採血すればよいか,という取捨選択の判断材料となる血清診断は大切です.

(4-2)採血の実際:

抗体陽性の結果が出たとき,その住民と,あるいはその家族に対して,シャガス病の疑いがある旨を説明し,管轄下の保健所あるいは,地方病院を訪ね,そこで医師に今回の結果を記載した検査結果を提示するように指示します.管轄下にある保健所等には,当日の住民健診実施の旨は先に連絡しています.住民健診のその現場では,その住民に,さらに精密検査の必要性を説いて,採血に同意するかどうかをたずねます.同意した場合,ヘパリンを用いて5mlの静脈血を採血します.フィールドでは,一人あたり5ml 以上の採血をしますと,住民の間で「採血したその血液を他で売るのだろう」という流言蜚語が広がりかねませんし,5ml 以上の採血は余計な心配を与えますから,控えます.フィールドでの採血は,回りの住民たちが見ている前でおこないますから,いろんな注意を払わねばなりません.フィールドでは,PCR用に,DNAを安定化させるEDTA での採血もしたいのですが,一人あたり1本の採血を標準にしていますので,ヘパリンで採血し,ラボへ持ち帰って,遠心分離する前に,PCR用に200500ul ぐらいを無菌的に分注します.また,遠沈後の血漿は,抗体価の測定に使い,沈渣は血液培養に回します.ところで,ヘパリンで採血する理由は,EDTAによる採血とヘパリンによる採血とでは,トリポマスティゴートの運動性に影響する違いがあるのを確認しているからです.EDTA採血では,その運動が鈍ります.よって,抗体陽性者からの採血目的は,血液培養用のための血液採取ですので,ヘパリン採血することにしています.

シャガス病流行地のフィールドでの住民健診やそこでの臨床学的検査などにご関心やご不明のところがある方は当室へご連絡ください.メールアドレス protozoatm.nagasaki-u.ac.jp の○を@にかえてお送りください.