長崎大学熱帯医学研究所ケニア拠点

長崎大学熱帯医学研究所ケニア・ナイロビ研究拠点
長崎大学熱帯医学研究所ケニアプロジェクト拠点

拠点長からのメッセージ
前拠点長から  現拠点長から

前60年代から1975年まで長崎大学は、熱帯医学研究所(以下、熱研)と医学部(大学病院)との共同で、リフトバレー州総合病院において、OTCA (海外外技術協力事業団Overseas Technical Cooperation Agency。JICAの前身)の医療協力を行っていた。その活動は、医者、看護婦、検査技師等が一体となって、押し寄せる患者を次から次に来る日も来る日も治療していくというものであった。何しろまだ自前の医者がひとりもいないころのケニア、一日の診療が終わっても患者の列は無くならない。残された患者はその一晩を病院の待合室や庭で過ごし翌日の診察開始を待ったと聞く。しかしそのうち、これでよいのか?いつまで続けるのか?といった、ごく自然の疑問が出てくる。医者も看護婦も検査技師も、終わらない大勢の患者を目の前にして砂漠に水をまく心境だったであろう。毎日は充実していたとしても、どこまで続くか分からない手応えのなさにむなしさを感じることもあったはずだ。
人間は単純だ。元を絶たなくてはどうにもならないと思い始める。毎日患者を治療するのも大切だが、そのエネルギーを病気の原因の解明と対策にも注ぐべきではないか。そこに新しく、「伝染病対策研究プロジェクト」が発想され、JICA (すでに、このころJICAに名称変更されていた)と長崎大学のプロジェクトが始まった。プロジェクトの相手は、KEMRI(Kenya Medical Research Institute)だ。しかし、それはまったく雲を掴むような話だった。なにしろKEMRIと呼ばれる建物は見回してもどこにもなかった。この時期、KEMRIは建物としての実体はない。それまでケニア国内に物理的にバラバラに存在していた研究組織を机上で統合し、仮想の組織として設立されたばかりであった。(その名残は今でもあちこちにKEMRIの組織が散らばっていることに見ることができる。)KEMRIはそのような時期を経て、のちJICAが本部建物を建設するという形で目に見えるものにした。
時とともにこの「伝染病対策研究プロジェクト」は長崎大学熱研が事実上総力を挙げて取り組む事業になっていく。国内でも各教室を横断した若手だけの勉強会が定期的に開かれていた。ウイルス、細菌、原虫に遅れて後に寄生虫の研究者が加わり、感染症の病原体すべての研究者が全て出そろい、当時としてはとんでもない巨大プロジェクトになった。しかもこのプロジェクトは、他大学から助っ人を多少は得ながらも、ほとんど単独の研究組織である熱研で運営されるという前代未聞の状態が出現した。
しかしその陰で、現場・国内の双方から批判、不満や疑問が沸き始めていた。 「研究者が研究しないでどうする!」 「研究者たる者、その使命は研究である。JICAのプロジェクトは研究ではなく、技術協力だ。研究者としての矜持をもて!」 「KEMRIとの共同研究といくら抗弁しようと所詮全ての活動はJICAのプロジェクトに過ぎない。そのようなものに関わる時間があれば少しは“本当”の研究でもしたらどうか。熱帯地の研究のためにはれっきとした文部省の科研費も用意されているではないか。」
そのような時代を経て、KEMRIと長崎大学(熱研)それにJICAの長い歴史を一挙に吹き飛ばすような事件が起きた。そう表現すべきではない。歴史の中で人知れず結んだ実がある日、突然熟して落ちた。
2005年KEMRI構内に長崎大学(熱研)の海外研究教育拠点、事実上長崎大学の海外研究基地が正式に産声を上げた。国立大学法人独自の海外拠点の設立は、5年間の時限とはいえ、おそらく日本における研究教育史上初めてのことである。実現した背後にはここに盛り込むには多すぎるあまたの要素、一言で片付けるなら時代の要請、があるのだが、遠因のひとつは、大学が法人化され、文科省から曲がりなりにも独立したことにある。文科省はこれまで海外に大学を置くことなど夢想だにしなかったが、時代の風がそれを可能にした。欧米に遅れること50年、遅きに失した感はあるが画期的である。
この拠点は「長崎大学ケニアプロジェクト拠点」と呼ばれる。KEMRI内に看板も立てた。常駐し始めたスタッフは2月の時点で教員3名(教授)と事務職員1名。スタッフはこれから増えていく。海外、日本を問わず、研究者、学生を増強する。現地教育研究拠点の設営によってこれまでの悩みは解消される。気持ちの上で捻れていたJICAとの関係も新しいものになる。熱研とKEMRIとの関係もJICAを介したものではないまったく別のものが期待できる。裏返せば、これからは言い訳が許されない。
繰り返しになるが、今回拠点が実現するまでの海外における研究活動は、特にフィールドワークは、科研費など制約された時間の中で行うか、長期ならJICAの中でストラグルするか、そのどちらかだった。これに対してナイロビ拠点は、目的をもっぱら研究・教育に定め、一日24時間365日研究者や学生が現場に常駐できる仕組みを目指している。ちょっとした旅行者気分で研究活動を国外で、あるいは研究材料・試料だけが目的で国外へ、そのような研究スタイルはそのうち根絶する。この拠点を基地にして国内外どの研究者もどの学生もアフリカに来ればよい。どうしてもというなら研究機器も国内以上に揃えよう。
もちろん拠点設営だけがわれわれの活動ではない。拠点設営はいま始まったばかりの5年間の試みの一部に過ぎない。拠点の設置はこの事業の重要な柱ではあるがひとつの要素に過ぎない。
拠点を中心とした研究教育活動の全体は正式には「特別教育研究費・連携融合事業」と呼ばれ、文科省下の長崎大学(熱研)独自の事業である。「特別教育研究費」とは文字通り文科省が「特別に」通常の教育研究経費とは別枠の競争的資金と呼ばれるもので、目的、内容を申請のうえ採用される。「連携融合」とは文科省以外の組織と連携しながら行う事業であること意味しており、今回熱研は相手として他ならぬJICAを選んだ。またもJICAかと言うなかれ。これからのJICAは置屋の女将ではない。熱研の真のパートナーとなる。
さて、特別教育研究費・連携融合事業の根幹は、まず熱帯医学における研究教育のプラットフォーム(舞台)づくり、その上で研究者、学生が様々なテーマで研究を行うというものである。

 1)新興・再興感染症および熱帯病の研究高度化を目的に、
 2)熱帯地に研究教育拠点を構築し、
 3)現地研究者と共同で、
 4)長期、継続的かつ広範囲の調査研究、
 5)若手研究者の現地教育を実施し、
 6)JICAとの連携により、開発援助の側面からも成果を現地住民へ還元する

と我々は説明している。
研究高度化が進む主要な方向は、現場でしか出来ない医学研究の高みに立つことである。あえて従来の学問分野で言えば疫学や生態学を中心とする調査研究活動、すなわちフィールドにおける医学研究の高度化だ。そのために便宜上取り上げる主要な疾病がいま人類最大の関心事である感染症であり、拠点はそのために構築し、効率的な推進のためにKEMRIなど現地研究機関と共同研究し、長期、継続的かつ広範囲の調査研究、教育を行う。必然的にJICAが興味を示すフィールドが出来上がる。
具体的には一定の地域を定める。ちいさな県程度を考えている。住民の全てを捕捉し健康と病気について長期間継続的に観察する。感染症とはヒトからヒトへと渡り歩く生物・異物によって引き起こされる疾患である。従って病原体が誰から誰にいつどこでどのように伝播するか、それを具体的に記載することこそがフィールドにおける感染症研究の重要な鍵となる。特別に目立つ病原体をまるで鬼の首でも取ったかのように報告する時代ではない。病原体がどんなに詳細に同定できたとしても、それがどこの誰からいつどういう状況で得られたかなどの記載と分析がなければこれからはほとんど学問的意味をなさない。
この調査研究は保健省、地方政府、KEMRIなどの協力なしではあり得ない。彼らが関心を示すことは必至だ。住民の健康状態が詳細に記録されある地域の保健衛生の問題点が浮き彫りになれば、それはまたJICAを含めて国際援助団体や資金調達機関などの興味をも引かないわけがない。本事業が用意するプラットフォーム(舞台)にはKEMRI、JICAの出番は山ほどある。「特別教育研究費・連携融合事業誰」では学問的成果に留まらず、誰もがおもしろいと評価し参加協力したがるような成果が上がることをいまから確信している。
それにしてもこうして熱研、KEMRI、JICAの来し方行く末に思いを馳せると、研究活動の仕組みがどうあるかはさほど重要ではない。仕組みや制度やシステムが如何にあろうと研究者個々人はその中で何をどのように行うか、その心意気が問われているに過ぎないことがよくわかる。
時と場所を得てそれに少しばかりの金と志ある者さえいれば、凡庸な者でも何ごとかを起こすことができるというが、幸せにも今長崎大学(熱研)にはこれらがすべてそろい、しかも有能な若い研究者達が集合しつつある。
長崎大学(熱研)は単にことを起こすだけではなく、間違いなくこの事業を成功に導く。
長崎大学 熱帯医学研究所 教授
長崎大学 ケニアプロジェクト 教授
嶋田 雅曉
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