世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局SARS対策チームに参加
(平成15年5-6月)

長崎大学熱帯医学研究所 感染症予防治療部門
大石 和徳 (2003年6月17日)

[大石先生からいただいたメモをそのまま載せた。メモなので、誤植誤字脱字はもちろんのこと、意を尽くせなかったところもあるだろう。現場の雰囲気をそのまま伝えるものと理解していただきたい。(basura)]


<5月中旬>

5月10日(土)
 18:00に福岡経由でマニラ着。
 WHO officeの迎えでPearl Hotel Manila泊。

5月11日(日)
 午前10時にWHO officeへ出向く。
 人事係のMr.Peter Vanquailleと会った。Michelleというオ−ストラリア人のInfection control nurse(ICN)から同じくオ−ストラリア人のDominic(Medical virologist)ともう一人のEpidemiologistと共にSARS対策の現状説明を約2時間かけて聞く。そのうち斉藤玲子先生(新潟大学、公衆衛生学)も現れる。
 WHOオフィス内のSARS対策室には緊張感が満ちあふれており、日曜というのにスタッフ、visitorともに週末という感覚はないらしい。みんな真剣そのものだ。昼食後に、NHKの取材にDr押谷(WPRのcommunicable disease sectionのチーフ)と共に応じる。また、Dr押谷からの前述のオーストラリア人とともに行動計画についても説明あり。現在の北京(Beijing)を含む河北省その周辺、広東省、山西省からの感染が地方に拡散するのを抑制することが任務であり、地方における病院内の院内感染対策とともに、SARSの診断法、治療法、症例報告方法などについて助言が求められている。中国における地方と都市部の政治的影響力や貧富の格差は大きく、地方への拡散はさらなる深刻な事態を招くと予想されている。

5月12日(月)
 午前7時にWHOオフィスにでかけて、まず北京への航空券の手配、WHOの事務手続きにおいて説明を聞く。午前8時からMichelle(ICN)からPersonal protective equipment(PPE)の技術指導を受けた。決して直接患者に接しないこと、患者の収容されている病室に入らないこと、自己防衛の徹底を指示された。
 Mr.Peterや斉藤さんに送られて北京へ向けてニノイアキノ空港へ。午前6時に北京空港着。巨大な空港内にほとんど人がいないのには、ほんとうに驚かされた。  

<13日以降>

渡辺 浩先生からの報告
 5/13に渡辺 浩先生が河北省の視察(5泊6日滞在)から北京に戻って来た。
 かなり、お疲れの様子であった。彼の仕事は、診断治療のコンサルタントと院内感染対策。機材の不足している地域もあるものの、医療のレベルは比較的しっかりしている。 むしろ、過剰な院内および院外の感染対策が問題なほど。SARS患者が発生した村では、住民1000人の村ごと出入り禁止措置をとっていたとのこと。
 院内感染対策として、患者のTriageやBarrier nursingはかなりできている。ほとんどの病院ではN-95マスクはないもののこれに代わる12層の綿マスクを2重に装着するなど、重装備であった。また、SARS患者は個室に管理されている。室内から換気扇などを使って、窓の外へ換気する事が大切。診断はWHOの診断基準ではなく、独自の中国厚生省の診断基準に従っている。
 喀痰検査による細菌感染や、抗原キットによるインフルエンザウィルス感染の除外はされていないらしい。また、画像検査としては胸部X線のみで、CTはあっても撮影していない症例が多かった。治療は、Levofloxacin,azithromycinの静注薬が投与されている。死亡率は5%程度であったとの事。
5/14には渡辺先生は河南省に向けて出発。

 一方の私は、北京に残りオ−ストラリアの医師、Infection Control Nurse(ICN)とともにInfection Control and Managementの業務に従事することになった。河北省を訪れたチ−ムの報告、5/15の中国Center for Disease Control(CDC)との会議や5/18の北京市内のYouAn Hospital(厚生省メンバ−が含まれている)との会議から、幾つかの問題点が明らかになってきている。
 1)中国厚生省の診断基準では白血球数や抗生物質による治療効果の要素が組み込まれており、Probable caseとSuspected caseの区別が曖昧になること
2)NIPPVやネブライザ−吸入などより飛沫の拡散を助長する装置や処置をル−チンに取り入れていること
3)病棟で消毒剤をスプレ−し、汚染物が散布される可能性があること等々である。
 いずれも国際的な標準を無視した、厚生省のガイドラインに端を発している。これらの問題を早急に解決する必要がある。そうこうしているうちに、週末になって私にも地方への派遣依頼があった。5/20(火)に華中のAnhui Provinceに向けて出発し、北京に戻るのは5/25〜26になる予定。

<その後>

 私は5月20日から中国厚生省(MOH)とWHOの混成チームのメンバーとして華中に位置する安徽省(Anhui Province)におけるSARSの調査に出発し、25日に北京に戻りました。
 安徽省は6,400万人の人口をかかえる省で、その10%は都会への出稼ぎ労働者である。この省ではSARS (probable )10症例、suspect 8症例が報告されているが、すべて流行地である北京、広東省、山西省からの輸入症例である。すなわち、前述の出稼ぎ労働者が感染して、安徽省に戻った症例ばかりである。
 ここで、WHOはどうして河南省、安徽省などのあまり症例の多くない省を調査するのか?それは、WHOがそうしているのではなく、どうも中国側が流行地への調査に対してなかなか首を立てに振らないらしい。もっとも、このような調査を中国側にWHOが迫っているのは、MOHの北京における症例隠し問題があったからにほかならない。今週に入ってやっと山西省、天津、内モンゴルなどのホットスポットへの調査準備が進められている。

 さて、安徽省に初めての症例が確認されたのが4月22日でその1ケ月後に今回の調査が行われたことになる。到着直後に、省の衛生部がこれまでの疫学的動向、SARS対策についてパワーポイントを用いた詳細報告が行われた。省の衛生部がこの1ケ月間のうちに、的確に結果報告ができている点は高く評価できると思う。
 私としては初めてのSARS症例の経過を知ることができた。北京から帰省した25歳の男性は、急性呼吸不全に陥りながらも、ステロイド、リバビリンなどの投与、BiPAPの使用で一命を取留めた。院内感染対策は、他の省の所見と同じで、二〜三重のガウン、マスク、手袋、ゴグルと重装備である。私も装着させてもらったが、30分で汗びっしょりになった。国際標準とは合致しないものの、独自の方法でまあよくやっている。安徽省における医療従事者の感染は一例もなく、新規症例もこの三週間以上認められていない。
しかし、よくよく症例記録を見せてもらうと、その医療水準は決して高いとは言えない。
 まず、SARSの診断は現時点で全くの臨床診断であり、他の感染症、他の発熱性疾患の鑑別が不可欠である。ところが、細菌検査、生化学検査、血清学的検査など、必要な検査の実施は皆無に近い。もっと言えば、MOHのガイドラインに記載されている末梢血白血球数(分画)、胸部X線のみしか実施されていない。また、治療内容はMOHの治療ガイドラインに準拠している。このMOH-WHO合同調査団の安徽省に対する評価は概してマイルドな評価であった。しかし、マスコミはちょっと甘いのではないかとWHOの評価を牽制している面もあるようだ。

 こうして、当初からWHOでの任務とされていた地方での調査に参加できたことに一応の安堵感を覚えている。
 さて、次の任務は、何か?渡辺先生とも相談しながら、残された期間を前述の除外診断や治療・マネージメントのガイダンスを作成したいと考えている。しかし、ホットスポットへの調査になる可能性もある。まだまだ、先の見えない日々が続きます。二人で、中華をつまみにビールを飲む時間が毎日のささやかな楽しみです。おかげで、二人とも痩せる気配は全く有りません。

<WHO業務を終えて>

 SARSは2003年2月下旬にベトナム、ハノイで初めて確認された。WHOは3月13日にSARS アウトブレイクをGlobal Alertとして宣言し、世界的サーベイランスを構築した。その後、3月?4月にかけて香港、シンガポール、カナダ、中国など25ケ国に感染は拡散した。なかでも、中国本土では4月中旬から5月にかけて5,300人を超える感染者、300人以上の死者を数えた。一方、4月に入り、WHOは広東省の調査を行い、SARS初発患者が昨年11月16日に広東省で発症していたことが明らかになっている。
 4月上旬には香港、カナダから、SARSに関する多くの情報が明らかになった。しかしながら、結果的にはその直後に中国本土とりわけ北京をはじめ、山西省、内蒙古、河北省、天津などへ急速に拡散してしまった。果たして、この中国本土における感染拡大の要因は如何なる点にあったのであろうか?
 少なくとも中国におけるアウトブレイクの初期には、接触感染のみならず飛沫感染がその主要な感染様式とされるSARSに対する院内感染対策は必ずしも十分ではなかったと考えられる。Health-Care Workers (HCW)のPersonal protective equipment (PPE)の不備や院内感染対策の不徹底などにより、多数のHCW感染を含む院内感染を引き起こしてしまった。これを契機に、院外へあるいは中国本土各地へ感染が拡散する事態に発展したと考えられる。

 さて、このアウトブレイクの最中、厚生省(MOH)の対策はどうだったのか?
 MOH はSARSに対する診断基準、治療、院内感染対策ガイドラインを改訂し、さらなる対策強化を図った。その内容は、中国ならではのトップダウン方式による草の根レベルの患者検出・患者トリアージ、隔離病棟内での独自の院内対策による厳密な患者管理、HCWの非勤務時隔離体制など徹底した対策であった。WHOによる北京市内、広東省、MOHとWHOの共同による河北省、河南省、安徽省、広西自治区、天津市などの調査から、このような実態が明らかになっている。6月に入り、中国における新規発生患者数は皆無になり、13日にはWHOによる北京を除く中国本土への渡航延期勧告が解除された。
 何故、日本のSARSはゼロなんだ?と、多くの中国人が聞いてくる。今の日本にSARSあるいはSARSと同等の新感染症が発生した時に、日本の医療現場は中国以上の対応ができるのであろうか?こと SARSについて、我々が中国から学ぶべき事は数多くあると思う。

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