沿革

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昭和17年3月,東アジアにおける風土病に関する,学理およびその応用の研究を行うことを目的として,長崎医科大学に附設された東亜風土病研究所が本研究所の前進である。

創設当時,所員は医科大学の諸教室(病理学,細菌学,内科学,皮膚科学)を利用して研究活動に従事し,主として中国大陸における野外調査に重点を置いた。昭和20年8月原子爆弾によって母体大学と共に研究資料等は一瞬のうちに灰塵に帰し,研究所発展の道は一時阻止され,研究活動も頓挫を来した。

昭和21年4月長崎医科大学附属風土病研究所と改称し,5月には諫早市へ移転して研究活動を展開した。

昭和24年5月国立学校設置法の公布により,長崎大学附置風土病研究所となり,その後,昭和32年7月25日の諫早大水害による移転等の変遷を経て,昭和35年度に長崎市坂本地区での新築が実現,翌年4月新庁舎へ移転した。

昭和39年度から既存の病理,臨床の両部門に加えて,順次毎年,疫学,寄生虫学,ウイルス学の各部門が増設され,41年度末にはこれに伴う増築も終わった。

昭和42年6月,国立学校設置法の一部改正により「長崎大学附置熱帯医学研究所」となり,熱帯医学に関する学理およびその応用を研究することが目的となった。同時に熱帯医学研究所内科として,20病床の診療科が医学部附属病院に設置された。

昭和49年度には,病原細菌学部門と熱帯医学資料室が開設され,昭和53年度には防疫部門(客員部門)と熱帯医学研修課程が新設された。昭和54年度には,昭和52年度に新築された感染動物隔離実験棟が,熱帯性病原体感染動物実験施設へ昇格した。昭和55年3月には,研究所本館の第2次増築が完了した。昭和58年9月には,国際協力事業団の集団研修コースである熱帯医学研究コースが開設された。昭和59年度には原虫学部門が増設され,昭和60年度には本館の第3次増築も完了した。昭和62年度には病害動物学部門が増設され,平成元年度には全国共同利用研究所へ改組された。平成3年度には感染生化学部門が増設され,10部門を有する研究所となった。

平成5年度に本館の第4次増築が完成し,平成6年度には,これまでの小部門制による研究体制を機能別に再編成し,病原体解析部門,宿主病態解析部門,環境医学部門の3大部門とする改組が行われ,12研究分野を設置した。

平成7年度からは,世界の最先端の学術研究を推進する卓越した研究拠点(COE:センター・オブ・エクセレンス)の研究所に指定され,平成8年度には,病原体解析部門に分子疫学分野(外国人客員分野)が新設された。平成9年度には,熱帯医学資料室の廃止・転換に伴い,熱帯病資料情報センターが新設され,更に平成13年度には熱帯資料情報センターの廃止・転換に伴い,熱帯感染症研究センターが新設されて,研究所の整備・充実も着々と進んでいる。