教授メッセージ2016年

● 9月のメッセージ

“WHY we do…”

心から嬉しい出来事だ。熱研内科で博士号を取得した濱口杉大先生が、10月1日に福島県立医科大学総合内科の教授に就任する。

濱口先生は、私が熱研内科教授に就任して間もなかったころ、友人のロビンベイリーLSHTM教授から、「特に印象に残った日本人医師」として紹介された。そのときは、内科医が総辞職となり、崩壊寸前だった北海道江別市民病院総合内科の再建を任されたばかりで、「あと半年早くこの話を聞いていたら・・・」との理由で、長崎には来ていただけなかったが、その後、縁があって濱口先生の博士プロジェクト「北ベトナムにおける未診断熱性疾患」をお世話する機会に恵まれた。同時に全国多施設肺炎研究(APSG-J)の主要なメンバーとして、経験豊かな総合医の目から、APSG-Jの膨大なデータを緻密に解析し、日本の老人肺炎とはなにかを、鋭く探求した論文を書き上げた(投稿中)。

それまで、臨床一筋で生きてきた濱口先生が、博士号を取った後で、臨床医として決定的に変わったことがあると言う。患者さんの病状について、治療方針について、患者さんに、その家族に説明するときに、自信を持って、「知らないこと」を「知らない」(世界中のどんな専門家に聞いたとしても、知っているひとはいない。だから、あなたの場合について、何がベストなのかを一緒に考えて行きましょう)と言えるようになったそうだ。博士論文を書くということは、「知っていること」と「知らないこと」をとことん突き詰める作業でもある。そうやって医学・医療を見返してみると、あまりに知らないことが多いことに気付く。

その濱口先生が、長崎の祝賀会で講演をしてくれた。タイトルは、“熱研内科から学んだこと”。そのポイントは、“WHYから始まることの大切さ・・・”。熱研内科に人が集まり、教室が発展してきたのは、WHY(なぜ、やりたいのか)があるからだと。。。何のために教授になって、何のために教室を存続させ、何のために発展させたいのか。そのWHYに対して人が集まる。そして、そのWHYを実現させるために、HOW(手段)を考え、WHAT(具体的な成果)をつくりだす。逆にWHAT(見た目)がいくら良くても、WHYを見失えば、その教室はいずれ崩壊する。

果たして、濱口先生に熱研内科から学んだと褒めていただいた自分たちのWHYとは何か。自分は、それを見失っていないのか、身が引き締まる思いで、彼の講演を何度も思い返してみた。

平成28年9月2日
有吉 紅也



8月27日~28日 TICAD VI(第6回アフリカ開発会議)に参加する。
アフリカ開発にかかわる日本関係者、日本の各企業の本気度を知る思いもかけない良い機会となった。


8月26日 3名の野口英世アフリカ賞受賞者らとアフリカ保健医療への自分の意見を述べる機会を頂いた。
黒川清先生、逢沢一郎先生ありがとうございました。


8月29日 ケニア航空の出発が12時間遅れ、その影響でバンコクから福岡までのタイ航空乗り継ぎが1日遅れ、
感覚的に丸3日間かけて帰国した。とにかく濱口先生の教授就任祝賀会に間に合ってよかった。


9月1日 濱口杉大先生 教授就任おめでとうございます!

● 2月のメッセージ

この3か月間の光景

2016年2月8日 15年振りのアフリカ。同じ日にナイロビに到着したクリスパリー先生と合流して、最初に交わした会話。クリス先生も私も、お互い英国、日本、アジア、アフリカの4つの世界で、かなり長い間、深く社会に溶け込んで働いた経験がある。客観的には、どれもとても異なる世界で、連続していないし、連続して考えることは容易ではない。それなのに、不思議なことに、どこへ行っても、空港に降り立った瞬間、「戻ってきた・・・」という懐かしい感覚になる。一体、自分はどの社会に所属しているのか、わからなくなる感覚。それが、クリス先生も私も、不思議で、ややこしい、でも面白いと感じた。特にこの3か月間の変化が激しかったので、自分が見た光景を並べてみた。

2015年12月1日 5年振りに北タイランパンに戻る。

ランパン病院ゲートの前庭にプミポン国王の両親の銅像が建っている。父ソンクラーナカリン王子は、ハーバード大学で医学を学んだ「タイの医療の父」、母シーナカリン王太合は看護婦として活躍された方である。この銅像を建てる許可が得られる病院は数少なく、私がランパン病院で働き始めた当時、病院長だったスチン先生、院長補佐のパニータ先生、ワチャラ先生らが、この銅像を建てる許可取得と寄付金集めに奔走されていた。2000年7月から2010年12月まで、この病院で千数百人規模のHIVコホートが実施され、ここで私の娘が誕生した。しばらく来れなかったが、ここで長年かけて築いた人脈はまだまだ健在である。今回の訪問でまた、新たな共同研究が始まった。

ランパン空港近くにあるビルマ系寺院。パニータ先生が退官されたとき、この寺院に多額のお金を寄進されたそうだ。この暗くて、少しひんやりした寺院の中から額縁に入ったような強い日差しに照らされた、まったりとした外の風景を見るのが好きだ。

2016年1月24日

今年の冬は、長崎で観測史上最高の積雪が記録された。朝起きると窓の外が真っ白で、まるで雪国にいるような錯覚になった。

車も道路もすべて深い雪で埋まっている。自分にとっては、とても懐かしい景色。旭川医大時代、競技スキー部に所属し、全道代表チームのコーチの監督のもと距離スキーをしていた。毎年1か月以上も大雪山に合宿して、練習は半端ではなかった。思わず埃が被ったディスタンススキーを出してみる。

2016年2月9日 西ケニアビクトリア湖周辺にある長崎大学フィールドを視察する。臨床教室として、医師を派遣し、新たな臨床研究の機会を探る。

どこまでも続く道に、ひとと動物がゆったりと歩いている。33年前、モンバサからナイロビまでの500キロの道のりを歩いたときと、同じ光景が広がっていた。

自然と人が集りたくなる大きな、大きな樹が、赤土の大地にそびえたつ。この手前にディスペンサリー、いわば小さな村の保健所がある。マラリアで熱を出した子供が外来に来ていた。

ビクトリア湖湖畔で遊んでいた子供たち。皆川教授らの船で岸辺に着くと、さっと集まってくる。アフリカを旅したことのあるひとには、見慣れた光景。わかっているけど、心が踊らされる。やはり、こんなに輝いている子供の目は他では見られない。

2016年2月13日 ロンドン大学衛生熱帯医学大学院とのパートナシップを推進するためロンドンに戻る。両者のトップが連携に合意し、書面にサインをしても、そして、実行する予算があったとしても、それだけでは何も始まらない。結局のところ、誰かが、意志をもって動かなければ・・・。その誰かと誰かをつなぐ作業。明日からの連続して行われる会合のことを考えると少し憂鬱。

14日(日曜)にロンドンソーホー地区をぶらりと散歩した。33年前に、ちょうどこのあたりでメッセンジャーボーイをしていた。その会社Tony Cuthbert Cartoon Companyは1997年に倒産し、もう存在していないが、随所にそのときの記憶と同じ光景があった。

衛生熱帯医学大学院(LSHTM)とロンドン大学連合Senate House。28年前、この大学院へ留学したときの言いようのない畏怖の念は、客員教授となり、何人もの友人がここで教授をしている今でもぬぐえない。”Count-down to Zero”の垂れ幕が、あちらこちらに下がっている。天然痘に次いで人類が撲滅寸前まで迫っているふたつ目の感染症、「メジナ虫症(Dracunculiasis, guinea worm disease)」のカウントダウンが始まっていた。

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